あなたのすべてをください。  景時×望美編
 暖かな春の日差しが、縁を明るく照らしていた。庭の木々がそよ風に葉を揺らし、若い芽がその色で目を楽しませる。
 望美はうららかな春の日を、縁に座って楽しんでいた。青い空と、緑の木々、はためく白い洗濯物、そして、微かに香る梅花の香り。もっとも、梅の花の季節はとうに終わっているのだが。
 望美は自分の膝の上に視線を落とした。梅花の香りを漂わせているのは、望美の膝の上に頭を置いて眠っている景時だった。
 穏やかな顔で眠る景時は、少しばかり幼げに見える。望美は愛しげにその頬に触れ、額にかかる髪をそっと撫で上げた。
 景時のこんな風に穏やかな寝顔を見ているのは、望美にとって幸せな時間のひとつだ。一緒に笑っているとき、熱を分け合っているとき、それぞれに幸せな時間だけれど、穏やかな彼の寝顔を眺めているときも、幸せなのだ。
 なぜなら、眠りはいつも景時に優しいとは限らないから。
 今も時に、彼が悪夢に魘されていることを望美は知っている。時に閨を抜け出してひとり、寒空に佇んでいることも知っている。冷えた身体を温めることはできても、夢の中にまで入っていって彼の悪夢を振り払うことはできなくて。自分の無力が哀しくなるときもある。
 それでも、少しづつ、過去の傷が薄くなっていくことを願って彼と幸せを重ねていこうと思っている。
 少し幼げに見える景時の寝顔は、彼の少年のころはこうだっただろうかと思わせた。最近やっと、ぽつりぽつりと自分の昔のことを景時は望美に語ってくれるようになった。鎌倉に邸の荷物を取りにいったときには、幼いころに父と狩りに出かけたという野原に連れていってもくれた。京での陰陽師の修行時代のことも、ときどき話してくれる。楽しかったこと、嬉しかったこと、それだけではなくて、辛かったこと、哀しかったこと。悔しかったこと。傷ついたこと。
 もっともっと、と望美は思う。
 もっともっと、景時のことを知りたい。できることなら逆鱗の力でもって過去に遡り、子どものころの景時に、少年の頃の景時に、自分と同じ年頃の景時に、会いたい。会って、彼の抱えている悲しみも苦しみも取り払ってあげたい。本当のあなたは違うのだと教えてあげたい。抱きしめてあげたい。そんな風にさえ思うのだ。
 この世界の調和を取り戻すために自分を呼んだ、と白龍は言った。自分も荒れて怨霊に蹂躙されるこの世界を放っておけなくてそれに応じた。けれど、炎に焼け落ちた京邸を経て、共に戦う仲間との絆を深めていくうちに、自分の戦う理由を見つけた。景時が望む戦いのない平穏な世界を、彼がこれ以上苦しむことのない穏やかな暮らしを手に入れたいと思った。そう思って、それでも時に、景時の背中を遠く思ったり、自分の想いが彼に届かないのではないかと思ったり、諦めそうになったりもしたけれど、この幸せにたどり着けた。
 それはけして、自分ひとりが頑張ったからだとは望美は思わない。景時も諦めずにいてくれたから。生きること、幸せになることを最後には望んでくれていたからだと思う。

――オレ、幸せ者だね。こんなに幸せでいいのかなって思うくらい幸せ者だね

そんな風に笑いながら言う景時だけれど、望美にしてみれば、まだまだだ、と思う。まだまだ足りない。もっともっと幸せになってもらわなくちゃ、と思う。これまでたくさん苦しんで、涙も我慢して、言葉も悲しみも飲み込んで、ひとりで重いものを背負って、頑張ってきたひとだから。望美がこの世界にきて、時空を越えて過ごした年月よりもずっと長い時間をこの人はたくさんの悲しみの中で過ごしてきたのだから、と思う。
 膝の上の景時がもぞもぞと動くのに、望美はそっとその表情を伺った。少し眉根を寄せた顔になっていて、心配したが、すぐに景時の表情は柔らかくなり、うっすらと笑みを浮かべたような顔になった。それにつられて望美も微笑む。
 戦が終わった今も、景時は忙しい。毎日、六波羅に出かけては戦の後始末や西国支配の基礎を築くためにあれこれ手配したり、鎌倉とやりとりしたり、朝廷と調整をしたり、文と書類に囲まれている。

――余は何も手出しせぬ。平穏な暮らしが欲しいというのであれば、己の手でそれを護って見せてみよ。

鎌倉で、景時は頼朝にそう言われたという。そして、その言葉が言外に示したとおり、戦の終わった今も、京ではまだ火種が燻っている。平穏な暮らしを護るということは、戦いを続けることよりも難しい、と景時は言う。それでも、この幸せを護るための努力や苦労なら、少しも惜しくない、とも笑って言葉を続けるけれど。
「私だって、同じなんですよ?」
小さくそっと呟いてみる。望美だって、この幸せを護るためなら何をも惜しいと思わないと考える。だから、もしまた、何か悩むことがあるなら、悲しむことがあるなら、教えて欲しいと思う。あるいは、それは単純に望美の独占欲なのかもしれないけれど。
 景時の全部を知りたい、という独占欲なのかもしれないけれど。
「……私って欲張りなのかもしれませんね?」
今も、彼がどんな夢を見ているのだろうと気になる。きっと楽しい、良い夢なのだと思うけれど。起きているときも、夢の中も。過去も今も、これからの未来も。
「景時さんの全部が欲しいなあ」
その代わりに、自分の全てを彼に捧げても構わないから。
そう呟いた途端、景時が寝返りを打って、その両腕が望美の腰に絡まった。ぎゅっと強く抱きしめられ、望美が驚いてその名を呼ぶまでに景時が目を閉じたまま呟く。
「とっくにオレは全部、望美ちゃんのものだよ」
「景時さん……! 起きていたんですか?」
景時を引き離そうともせずに、望美が赤い顔をして声を挙げる。片目を開けてその顔を見上げる景時が、それからまた、目を閉じて気持ちよさげに望美に顔を押し付けると息を吸った。
「うん? ついさっきにね〜。すごく気持ちよくって良い夢見てたんだけど。
 でも目が覚めたら望美ちゃんがめちゃくちゃ嬉しいこと言ってくれてたから、らっきー、って感じかなあ」
「嬉しいですか?」
「うん……オレの全部が欲しいなんて望美ちゃんが言ってくれるなんてさ……嬉しすぎだよ」
でも、そんなこと言わなくたって、オレの全部は望美ちゃんのものだからね、と景時が続ける。望美は少し胸が熱くなって、自分に抱きついている景時の髪を指先で撫でた。
「そうなんですか?」
小さくそう尋ねると、景時は頷いた。
「……だって、望美ちゃんのおかげでオレは生まれ変われたんだから。
 苦しかったことも、辛かったことも、全部、望美ちゃんのおかげで救われたんだ。
 だから、オレは全部、望美ちゃんのもの、だよ」
照れくさいのか、髪に少し隠れた景時の頬がほんのり色づいて見えた。望美は嬉しくて身を屈めるとその頬にそっと口付けて、耳に囁く。
「……私の全部も、景時さんのものです。
 私も、景時さんのおかげで、今の私になれたから」
切ない響きを伴う溜息が景時の口から洩れて、望美に絡まる景時の腕になおさらに力が込められる。

そしてしばらくの後、縁から二人の姿は消えていた。春の光は変わらず柔らかく辺りを照らしていたけれど。




遙かなる時空の中で
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銀月館
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