あなたの口付けをください。 友雅×あかね編
通りに面したテラスのテーブルで、私はもうずっと行き交う人を眺めている。
今日は休みの日の午後3時。約束の時間は午後2時。もう1時間過ぎている。わかっているの、忙しい人だっていうことは。
もちろん、それで友雅さんを責めるつもりはないけれど、ただ少し寂しいなあって思うだけ。
氷がすっかりとけて薄まってしまったカフェオレを、ストローですすりあげながら、私はさっきから何度も何度も見返している携帯を、もういちど手にとってみる。
『すまない、あかね。少し時間に遅れそうだ。必ず行くからしばらく待っていてくれまいか』
こちらに来てから、割とずっと活躍しているこの連絡手段。そんな風に思ったこともなかったのに、この機械的な文字の羅列を眺めていると、京で何度か貰った文の流麗な友雅さんの文字を思い出してちょっと物足りなく思ってしまう。手紙って、いいものなんだなあってこっちに戻ってきてからしみじみ感じたり。
京で過ごした経験は、私を随分と変えたと思う。手紙を好きになったことや、お香を集めるのが好きになったことなんてちょっとしたこともいろいろあるけれど、もちろん、一番変わったのは友雅さんという人が私にとって居なくてはならない人となったこと。
ただ、京にいたころは私は『龍神の神子』という役目を担っていて、それは特別な力をもった存在とされていたから、胸を張って……とはいえないまでも友雅さんの傍にいる自分に少しの自信が持てた。でも、こちらの世界に戻った私は、普通の女子高生でしかなくて、大人の友雅さんとつりあっているとは、どう見たって言いがたい。
もちろん、友雅さんはそんなこと気にしないし、私がそんなことを言うときっと嗜めると思う。他人の目を気にする必要なんて何もないって。
二人でいるときは、私もそんな風に思うことができるのだけれど、今日みたいに一人ぼっちで考えこんでしまうと、ちょっと気持ちがマイナス方向へ向いてしまうのだ。
すっかり薄くなったカフェオレの残りをストローでかき回す。お代わりを注文しようかどうしようかと迷って、ボーイさんを探すために振り向いた私は、その瞬間にこちらを見ていた人と目があって、ばつが悪い思いをしてしまった。カフェオレ一杯で一時間以上も粘るっていけないかなあ。
軽く手をあげてその人を呼んで。次はグレープフルーツティーを注文する。追加の注文をレシートに足して、カフェオレが入っていたグラスを持ってボーイさんは帰っていった。
何もなくなったテーブルを眺めて、道を通りかかった人には多分、注文が来るのを待っている今きたばかりの客、に見えるよね、なんて自分のことを考える。だって、どう見ても私は来ない人を待っている可哀相な子、に、お店の人には見えていそうだから。何をするでもなく暇そうにしながら、通りを行く人の姿を目で追っているなんて、いかにもそれっぽい。何度も何度も携帯を取り出して眺めているのも、それっぽいに違いない。かといって、他に何かすることがあるわけでもなくて。
ちょっとだけ私は溜息をついた。
友雅さんが私との時間を過ごすために最大限の努力をしていてくれることはよーくわかっているのだけれど。やっぱり約束の時間に遅れた罰にケーキくらいは奢ってもらってもいいんじゃないかしら、と思いなおしたくなってくる。
あまり遅くなるようなら、友雅さんの家に行って待ってます、と連絡しようかどうしようか迷って……本当は今日はウインドウショッピングして食事も外でって言っていたのではあるけれど……やっぱりもうちょっと待っていようかと携帯をテーブルに戻す。
ちょうどそんな動作をしたときに、グレープフルーツティーが運ばれてきて。別に何でもないことなのに、なんだか恥ずかしく思えてしまった。言い訳がましく、心の中で、別に待ちぼうけな訳じゃないの、ちゃんと友雅さんは来てくれるんだから、なんて繰り返してみたり。
……やっぱり、ケーキ注文追加。と心に誓って、グレープフルーツティーを飲み込む。3杯目を注文する前には、ここへ現れてね、友雅さん。そんなことを考えていると、携帯のランプがチカチカと輝いた。慌てて取り上げる。
『もうすぐ着くよ、遅くなってすまない』
それだけで、私の気持ちは浮き上がる。見た目にもわかっちゃうんじゃないかって思うくらいにうきうきしてくる。本当はこんな風に外で会うときは、ちゃんと二人釣り合って、似合って見えるかしら、ってことも気になるのだけれど、友雅さんに会える嬉しさがあまりに大きすぎて一瞬それらが見えなくなってしまう。

メールが届いてからそんなに時間がかからずに、私はテラスから見える通りの向こうに、探している人の姿を見つける。こんな晴天の日だというのに、なんだっていつもそんなに涼しげなんだろうと思う友雅さんは、周りと纏う空気が違って見える。
私が待っているカフェに入ってきたときも、一瞬お店の中の空気が変わった。きっと誰もが友雅さんに目を向けたと思う。
それなのに、友雅さんは私だけを見て、真っ直ぐ私のところへやってきてくれる。
「すまない、待たせたね、あかね」
涼やかな声でそう言って、それが当然のように私の隣の席に座った友雅さんに、見なくたって皆がきっと驚いているんだろうなとわかってしまう。
「はい、随分待ちましたよ。でも、友雅さんはちゃんと来てくれるってわかっていたから大丈夫でしたよ?」
不安がらせたとか、そういう心配をしそうな友雅さんにそう言うと、なんだか安心したみたいに笑うから。
「ほんと言うと、さっきまで何時間も一人でここに座って、携帯何度も見直してるから
 待ちぼうけで振られた女の子みたいに見えてるかもって、ちょっと面白がったりしてました」
ぺろっと舌を出してそんなことを冗談めかして言ってみる。
「……もう君をこんな何時間も外で待たせたりしない。約束するよ」
予想外に友雅さんが随分と真面目な顔になってしまって、かえって私の方が慌ててしまった。
「いえっ、あの、ごめんなさい、そんな真面目に謝ってもらうなんて……
 ちゃんと私、わかってるから気にしてないですし、ほんと、内心面白がってただけで」
必ず来てくれると知っているから、待っている間の少し凹んだ気持ちだって平気なのだと、どんな風に説明したらわかってもらえるだろうと考えて。そして、そんなことは言う必要はないかと思い直す。ときどきは私の気持ちが沈みそうになるのも本当で、でも、それは友雅さんに教えたらきっと自分のせいにして友雅さんが考え込む。でも、私は友雅さんが傍に居てくれるならそんな気持ちはすぐに忘れてしまうのだから……だからそれならそういう気持ちを伝える方がきっとずっと上手くいくはず。
「それに、今は、誰よりも幸せな女の子に見えてますよ、私。
 友雅さんと一緒に居るんだもの」
そう言って気持ちに素直に友雅さんに笑いかけた。そしたら大きな手が私の髪を優しく撫でてくれる。
「それはきっと、私の方だよ。君の傍にいることを許された私ほど幸せな男はいないだろうからね」
「じゃ、誰よりも幸せな二人に見えるってことで! 見えるだけじゃなくて、ホントにそうだと思っちゃってますけど」
自分で言っていて、なんだか照れ臭くなってしまって私は誤魔化すように笑ってしまった。頬が熱いのは多分、気のせいじゃないだろうなって思う。こういうとき、私を見る友雅さんの表情がすごく楽しげな顔になる。多分、面白がっているのだと思う。
だから、ちょっと悔しくなったので、少しだけ意地悪を言ってみたくなったりして。
「でも! やっぱりちょっと待ってる間退屈したから、何か言うこときいてもらっちゃおうかな!」
こういうことを言い出すのが子どもっぽいんだとはわかっているけれど。
「なんでもどうぞ、姫君。君の言うことなら私が逆らえるはずもないのは良くわかっているだろう?」
ほら、そういうことを言うのも余裕がある証拠で。
「じゃあ、まず、ケーキをご馳走してください。ここのフルーツタルトが美味しそうだったから」
「おや、ひとつでいいの? いくつでも何種類でも構わないのだよ」
……そんなにいくつも食べるものじゃないでしょ。食べたいけれど。全く動じるはずもなくて友雅さんは店員さんを呼んでケーキと、自分の分の飲み物を注文する。レシートに追加の注文を書き留めてカウンターへオーダーを言いに行く店員さんの後ろ姿を少し眺めて、ちゃんと恋人同士な二人に見えたかな、なんてことを考えた。
微笑ましい仲の良い兄と妹? でも友雅さんと私って似ていないからそんな風には見えないよね?
「それから?」
一瞬ぼんやり、そんなことを考えてしまったら、友雅さんからそう促された。何が、と思って目で問いかけると
「ケーキだけで良いのかい? 君を待たせた償いはそれで許していただけるのかな?」
と言われて。それで、ふと心に過ぎったことが私にいつもなら言わないようなことを言わせたんだと思う。
「……じゃ、キス……口づけしてください。……それで、もう遅れたことは問題なしってことにしましょう!
 ほら、ケンカしたカップルも仲直りの印に、って映画とかでよくやるでしょ」
そしたら絶対、もう、兄妹には見えないでしょ。
「……それでいいの?」
いたずらっぽく囁かれて、はっと私は気付く。
「やっ、あの、えーと今のは冗談っていうか、あ、そうそう、頬に。ほっぺにっていうことで……」
そう言い終わる前に、まるで風みたいにさらりと友雅さんの唇が私に触れていった。
それはとてもさり気なくて、まるでごくごく当たり前の動作のように見えただろうと思う。
「これで、君に寂しい時間を過ごさせたことを許してもらえるのかな?」
駄目だというなら、もうあと何度でも、と言いたげに友雅さんが私の手を取って指先にまで口づけしながらそう言う。
無理、絶対無理、兄妹には絶対見えない。うん、見えない見えない、安心したから!
私はとにかくいっぱいいっぱい頭を縦に振った。すごく恥ずかしい。自分の言ったこともだけれど、この状態も。でも、すごく嬉しい。何が、と言われたら答えることができないくらい、多分、何もかもが。
その後すぐにやってきたフルーツタルトの味さえも、わからなくなるくらいにふわふわした気分は、ずっと続いたのだった。

「じゃあ、あかね、君が遅刻したときは、君から口づけをしてもらえるんだね?」
カフェを出て歩き出す間際、随分と楽しげに、そう友雅さんは私に囁いた。




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