あなたの口付けをください。 景時×望美編
「はいっ、今日も素敵な選択日和〜って!」
すっかり景時の口癖が移ってしまった望美が庭に干された真っ白な洗濯ものが風にひらひらとはためいているのを眺めながらそう言った。
「望美ちゃ〜ん」
そんな望美に向かって景時が困惑したような困ったような表情を見せる。望美はぺろりと舌を出してみせた。別に困らせようと思っているわけではないのだけれど、ついつい景時の言葉が移ってしまうのだ。それは、彼といる時間が多くなったせいだったり、彼のことをずっと見ているからだったり。
楽しげな彼が嬉しくて、そんな様子の彼を何度も心の内で繰り返し思い返しているせいだったり。
「ごめんなさーい、でも景時さんの口癖うつっちゃうんですもん」
悪気なく笑いながらそう言われると、景時も照れた顔でそれ以上何も言えなくなってしまう。
そうして望美が抱えていた空になった洗濯籠をひょいと取り上げると赤い顔のまま、すたすたと邸へ歩きだした。望美が小走りにその後を追う。
「景時さーん」
怒っているわけではないのはわかっているが、何も言わないのが気がかりで背中からえい、とばかりに飛びついてみると、景時の動きが止まった。
「の、望美ちゃ〜ん……」
今度こそ、困りきったような景時の声がして。景時の手から籠が落ちた。
あ、とその籠に望美が視線を落とした瞬間、抱きついた望美の腕をしっかりと景時が掴んで、振り向いた。
望美は景時と抱き合うような形になり、その頭は景時の胸の位置にあった。
何がどう体勢が変わったのだかと、抱きついたまま顔を上げると景時が赤い顔のまま望美をじっと見下ろしていた。
何か言いたげで、それを躊躇しているようで、でも望美には景時が何を言いたいのかがとてもよく感じられる気がした。なので、促すようににこり、と笑ってみる。それだけで、景時の顔が更に赤くなって、望美の頭が触れている胸の鼓動がはっきりと早くなるのが感じられた。
「望美ちゃん……」
さきほどまでとは、いささかトーンの違う声音で名前を呼ばれて、望美も少しばかりどきりとした。
少し口を開けて逡巡した後、景時が額を寄せて顔を近づけ、囁くように言う。
「……望美ちゃん、口付けても、いい?」
ごめん、オレ、もう我慢できそうもないよ、と小さく言葉が続けられる。ぎゅっと望美の腕をつかんでいた景時の腕が、望美の背中に回され、抱きしめられる。
思いを通じ合わせた後も、手を触れ合い、優しく抱きしめられることはあっても、口付けを交わしたり、もちろんそれ以上のことも今まで何もなかった。この時代の男女のお付き合いというのはそういうものなのだろうか、と望美は多少物足りなさを感じつつも、自分からそんなことを言い出せるはずもなく、過ごしてきた。西国が落ち着いたら祝言を挙げようね、と言われてはいたし、一緒に暮らせることで満たされもしていたのだ。
しかし、今の言葉で景時が自分に触れたい思いを我慢していたのかと知って、望美は嬉しく、そして自分も彼に触れたかったという正直な気持ちに気付いたのだった。
少しの戸惑いと恥ずかしさが望美の上を一瞬で通り過ぎ、つられたように赤い頬をして小さく頷いた。
それから、自ら顎を上げて景時を待つようにそっと目を閉じる。
背中に回されていた景時の手が望美の頬を包み、望美は自分の鼓動が耳の奥で煩く跳ね上がるのを聞いていた。
……………………しかし、しばし待っても望美が思っていたような優しい感触はやってこなかった。
目を開けて確かめた方が良いものかどうかと迷いながらも、景時が触れてくるのを待つ。しかし、なかなかそれはやってこなくて、望美はどうして良いかわからず、だんだん緊張が高まってきた。何か自分は間違っただろうか、とぐるぐる考えているうちに、緊張が高まりすぎてなんだかそんな自分が滑稽に思えてきて。額に景時の額がこつん、と触れた瞬間に、つい望美は笑ってしまった。その声に重なるように、景時の参ったような笑い声が続く。望美は目を開けた。
「ご、ごめん……ごめんね、望美ちゃん……なんだか、こう……胸がいっぱいになっちゃって
 緊張しちゃったみたいで……オレって、なんだってこう、肝心なときに駄目なんだかなあ〜ほんと、かっこ悪い……」
はぁ〜〜、と深いため息をついて景時がしょげかえる。
「そ、そんなことないですよ。あの、あのね、なんだか私も自分がすごく緊張しすぎてて、それが可笑しくて。
 つい、笑っちゃいました……ごめんなさい」
すまなそうに潤んだ瞳で景時を見上げる。自己嫌悪に沈んでいきそうだった景時がそんな望美の表情に、落ち込みを忘れた。
「……あの、さっき、景時さん、我慢できないって言ってたけど、ね。
 私も、同じですよ? わ、私も、景時さんに触れたい、触れて欲しい……
 私も、景時さんの、口付けが、欲しい、です……」
言ってから恥ずかしさに景時の胸に顔を埋める。その望美の髪を優しく景時の手が撫でていった。
髪を撫でる手の動きに誘われるように、おずおずと望美が顔を上げる。
ごく間近く景時の顔があって、自然に望美は目を閉じた。そしてその瞬間、柔らかく唇に触れる景時を感じて、景時の衣を掴む望美の手にぎゅっと力がこもった。
長いような一瞬だったような、不思議な時間が経過して、景時が離れていくのを感じた望美は目をゆっくりと開ける。見上げると、照れてはいるけれど、嬉しげな景時の顔があって、望美も顔を綻ばせた。
「……望美ちゃんが可愛いって思ったら、なんだか緊張も何も感じなくなって、
 ただ君が可愛くて、愛しくて仕方ないって気持ちしかオレの中になくなっちゃって、そしたら、その、君に口付けてた。
 な、なんか、やっぱ、オレって、考えるだけ無駄なのかなあ〜」
あははは〜、と笑いながら頬を掻く景時に向かって望美は手を伸ばし、その頭を自分へと引き寄せる。
「ち、違うの! 景時さんは、優しいから考えすぎちゃうだけなんです!
 口付けするのにも、私の気持ちのほうを考えちゃって、だから、自分を我慢しちゃう、優しすぎる人なんです。
 でも、もう、私の気持ちは言いましたよね? 私も、景時さんと同じ気持ちって。触れ合いたいですって。
 だから、景時さんがしたいときは、きっと、私もしたいときだから……」
だから、気持ちが重なってるのがわかったから、今は上手く行ったんですよ、と望美は言った。
「望美ちゃんも、オレと同じ気持ちでいてくれたから?」
コクリ、と望美が頷く。はあ、と景時が目を閉じて息を吐いた。
「望美ちゃんって、オレのこと喜ばせすぎ……オレ、君といたら地面に足がつかなくなりそうだ」
そして望美の肩に顔を埋めてそれから少し顔を傾け、その耳に囁く。
「……もう一度、口付けてもいい?」
望美はかかる息に少しくすぐったそうに身をすくめ、それから景時の耳に囁き返す。
「……そんな風に尋ねなくたって、同じ気持ちですよ? だから、大丈夫……」
そしてお互いに確かめるように見つめあい、さっきよりも長く深く触れ合ったのだった。




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