あなたの言葉をください。 友雅×あかね編
「ねえ、神子殿」
囁かれてあかねは、身を固くした。言われていることは良くわかる。目の前のこの人に自分が逆らえるとも思っていない。でも、どうしても恥ずかしいのだ。
雅やかな指が、あかねの短い髪をつまんで弄ぶ。頬に触れそうで触れないその指は、でも微かな熱をあかねに伝えてきてなおさら身を竦ませた。優しく腕の中にあかねを抱え込み、そっと顔を覗き込んで繰り返される。
「ねえ、どうして何も言ってくださらないのかな」
多分、わかっていて言っているのだろうと思わせる意地悪な言葉に、あかねは口を噤んだ。わかっているのに、どうして。そんな思いが胸の中でぐるぐると繰り返される。
京を鬼の手から護り、穢れから開放した後もあかねはこの世界に残ることを選択した。それはひとえに、今、彼女を抱きしめている男……友雅の傍に居たいが為であった。そのことは友雅も十分に承知で、そして、異世界から来たあかねが、元の世界に戻らずにここに留まるということが、何よりも強い彼への想いを表しているとわかっていて……わかっていて繰り返す。
「神子殿……あかね、君の気持ちを聞かせて欲しいのだよ、私は。
 君に焦がれる哀れな男に、姫君の心の内をどうか明かしてくれまいか?」
そんなこと、言葉にしなくても友雅さんのことが大好きに決まっています! と内心では思うのだけれど、元の世界に居たときから誰か男の子と付き合うとか、告白するなんてこととは縁がなかったあかねである。いざ何か口にしようにも恥ずかしくて何を言っていいのかわからなくなってしまうのだ。
そのうえ、友雅のその整った顔立ちを間近に見つめ、彼の深い瞳にじっと見つめられているとそれだけで恥ずかしさが全身から立ち上って言葉を忘れてしまう。何も言えずに俯いてしまうあかねに、友雅は笑いを零しながら強請るのだ。白雪の君、どうか君の愛の言葉を私にくれまいか、と。
(絶対、絶対、友雅さん、私のことをからかってるよね?!)
子どもだと想われているに違いないと感じることが悔しくて、あかねは俯いて唇を噛んだ。その様子に、友雅も気付いたのだろう、そっとあかねの髪で遊んでいた指を離すとその頬に触れて顔を上げるように促す。
「私のことを、お嫌いかな?」
「…………今の友雅さんは、あんまり好きじゃないです」
つい、口を尖らせてそんなことを言う。
「どうして?」
顔をいっそう近づけられ、そう囁かれる。口元に微笑みを浮かべてそう問う友雅に、追いつめられる気持ちが焦燥感を感じさせる。こんな風にこの人と過ごしたいわけではないのに、と。
「……だって、面白がってる、でしょう?」
子どもな自分を。面白がっている。そうでもなければ、どうして、今更自分の気持ちを聞きたいなんて言うのだろう、とあかねは悔しい思いを零すようにそう呟いた。その言葉に友雅は何も返さなかった。いつものように、軽くからかう言葉が返ってくるだろうと思っていたあかねは、少し拍子抜けして顔をあげると友雅を見遣る。相変わらず、優しい笑みを浮かべてじっとあかねを見つめていた友雅が
「……そう」
と呟いてから、そっとあかねを抱きしめた。
「そんなつもりは毛頭なかったのだけれど、あなたにそのように思われてしまうのは
 私の不徳の致すところ、なのだろうね」
笑いを含んだその声に誤魔化されてはいたけれど、あかねはその言葉に少し胸が痛んだ。絶対にからかわれていると思う。慣れない言葉を言わせて面白がっているのだと思う。なのに、胸が痛い。まるで友雅を自分が傷つけてしまったようで胸が痛い。
……友雅さんは、狡いよ……
そんな風に思って抱きしめられた腕の中で、あかねは友雅の顔を見ようともぞもぞと身体を動かし、顔を上げた。その動きに気付いたのか、腕が少し緩められる。見上げた先にある友雅の瞳と目があった。深い色の瞳はいつ見ても、吸い込まれてしまいそうだ。優しくて、そして少し切ない。
「私は、嫌われてしまったかな?」
「……き、嫌いになんかなりません」
かあっと頬が熱くなるのを感じながら、そう言い切る。それだけでもなんだかとても恥ずかしいのに。
「では、好き?」
そう問われると口ごもる。『好き』という言葉が、特別の意味を持つようになって以来、どうしてこんなに口にするのが難しくなってしまったのだろうと考える。イチゴが好き、ホットケーキが好き、チョコレートが好き、友だちが好き、なんてことなく普通に何度も口にしてきた言葉だというのに。
躊躇うあかねに、友雅は囁きかける。
「つれない姫君。私はこんなにも君に恋いこがれているというのに。
 どうしてただ一言さえもその心を言葉で表してくれないのだろうね?
 それとも、まだ私の心が足りないのだろうか? 真実君を心から慕っているのだよ」
熱っぽいその言葉はあかねの耳をくすぐり、顔だけではのみならず身体まで赤く染めそうな勢いだ。何故そんな風に躊躇いなく、言葉にできるのだろうかと彼と自分の差を考える。
……友雅さんは、大人、だから。……恋多き人って噂があって……きっと今までにもそんな言葉を紡いできたから……
自分とは違う、とそう思って口を開きかける。
(……友雅さんは、言い慣れているから、言えるんです)
言いかけて、口を噤んだ。優しい笑みを浮かべた友雅の表情の奥に、深い瞳のその奥底に、ふと真剣なものを垣間見た気がしたから。それは、京を護る日々を共に過ごしていた頃、あかねが元の世界へ戻るに違いないと思っていた友雅が、自分に向かって真摯に心情を吐露してくれたときの、瞳の色と同じものが今もあるように思えたからだった。
あのときの彼の言葉を自分はどう思っただろうとあかねは思い返す。最初はからかわれていると思った。けれどその言葉に込められた想いは嘘ではなくて、慣れた言葉だなどと思いもしなかった。今は? 今、彼が自分にくれる言葉は?
そこまで考えて、あかねはもう一度友雅の顔を見上げた。そして、そうだ、と思い直す。何一つ、彼が自分にくれた言葉で、彼が『言い慣れた』言葉などなかったはずだと。空虚な言葉を遊びのように紡いできたことはあったとしても、真摯にその想いを乗せて紡ぐ言葉には、慣れていない人だったのに、と。
だから、あかねは恥ずかしくて、恥ずかしくて口にする前から頬がもう赤くなっているのが良く良く自分でもわかっていたのだけれど。彼が自分に向かって紡いでくれる言葉に、自分も想いを返すために勇気を出した。
「……あの、ね。友雅さんはちゃんとわかってるんだとは思うけれど。
 私も、友雅さんを好き……大好き。心から、好き、なの」
それだけ言うのが精一杯で、顔を隠してしまうあかねに、友雅がそれはそれは嬉しそうに破顔する。熱い頬を友雅の胸に埋めて、それでも抱きしめてくる腕の強さに、楽しげに喉を鳴らして笑う友雅に、彼の無邪気な喜びを感じてあかねも少し微笑んだ。
言葉にしなくてもわかっていることがあるとしても。言葉にして表せばもっと嬉しく感じることだってある。それは、きっと、大人である友雅だって同じなのだ、と。




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