あなたの言葉をください。 景時×望美編
「ただいま〜」
のんびりした声が玄関に響く。
「おかえりなさい、景時さん!」
その声に屋敷の奥から駆けてきたのは望美だった。その笑顔を見た瞬間に疲れた表情だった景時の顔がぱっと明るくなる。どんなに疲れていても、望美の笑顔ひとつで途端に気分まで天にも昇るくらいにうきうきしてしまうのだから、望美ちゃんは凄い、と景時は思った。勿論、望美が凄いのではなくて景時のその惚れ込み具合が凄いという見方もあるということには、全く本人は気付いていない。
鎌倉から京へ戻って以来、休む間もなく景時は働きづめだった。西国統治を任された九郎の補佐という仕事は思いの他に大変で、それはその通り、人々の営みというものに休みはないのだから一仕事終えたからちょっとお休みというわけにはいかないのである。これまでの戦の日々から一転して書類や評定に追いかけ回される日々が続いていた。
『オレもリズ先生みたいに隠遁生活送りたい〜』
とあまりの忙しさに泣き言を繰り、弁慶に冷たくあしらわれたことも一度ではない。曰く
『家に帰れば最高の癒しが待っている人が何を贅沢な』
そう言われると、思わず顔がにやけてしまうのも仕方がない。どんなに疲れて帰っても笑顔で迎えてくれる望美がいると思えば、仕事が忙しいことなど大したことでもなく思えてくるから不思議だ。九郎や弁慶が景時に廻してくる書類の量が日々増えて行っているような気がするのは、どんなに忙しくても景時が幸せオーラを発しているせいでもあるとは気付いているのかどうか。とにかく、忙しい日々を送りつつも景時は非常に幸せだった。どんなに忙しくても、もうこの手で人の命を殺めなくても良いということ、もう仲間に隠し事を持たなくても良いということ、そして家族を本当の意味で護ることができたこと、これまでの人生において最高に幸せな気分を景時は味わっていたのである。祝言を挙げるのは、もう少し西国が落ち着いてから、ということになったがそれでも同じ屋敷に住んでいるために、実質もうほとんど夫婦のようなもので、夜を除けば毎日が新婚生活のようなものだった。

「望美ちゃん、オレが取り入れるから」
庭にはためく洗濯ものを取り入れようと奮闘している望美の傍に寄り、景時がその両手に抱えられている洗濯ものを取り上げる。
「あっ! 大丈夫ですよ、景時さん! 景時さんはお仕事で疲れてるのに」
「何言ってるの、望美ちゃんだって、毎日家事で疲れてない?
 もうオレはね、源氏の軍奉行より梶原家の洗濯奉行やりたいくらい洗濯好きだから取り入れるまで任せてってば」
「何言ってるんですか、もう!」
景時の軽口に望美が声を挙げて笑う。その笑顔が嬉しくて景時の口はいつもどんどん軽くなっていってしまうのだ。望美の笑顔が見たい、望美を喜ばせたい、傍にいるだけで舞い上がってしまうのにその彼女が自分だけに笑顔を向けてくれる、それが嬉しくて、何だって出来そうな気分になってしまうのだ。
結局二人一緒に洗濯ものを取り入れて、二人一緒に畳んでいく。途中、通りすがった朔もそんな二人に少しばかり苦笑しつつも何も言わずにその場をそっと離れていった。朔も十分に学んだのである、この二人に何を言ってもあてられるばかりだと。
「ほんと、オレ、すっごい幸せだなあ」
満面笑みを浮かべて景時がそう言う。笑うと年齢よりもずっと幼く見える彼は、ほんの数ヶ月前は年齢に相応しくない諦念の情に囚われ続けていた。それが全く嘘のように見えて、望美も嬉しげにそんな彼を見つめる。
「望美ちゃんがいてくれて。朔が笑ってくれて。仲間がいて。戦が終わって。
 すごいよ。望月のかけたることもなしってこういう気分じゃないかなってくらい幸せ。
 オレの心を望月にしてくれたのは、望美ちゃんだよね」
畳み終わった洗濯ものをそっと脇に避けると、望美はそんなことを言いつつ照れた表情で庭を眺める景時の腕を引っぱって身体を引き倒すと、その頭を自分の膝の上に乗せた。思わぬ膝枕に照れつつも、起きあがろうとはしないのが今の景時で。それだけもう望美に自分という人間を預けているのだった。
「そんなに褒めても、夕餉のおかずは増えませんよ?」
「やだなあ〜、そんなの目当てじゃないって」
もちろん、望美だってそんなことはわかっているけれど、そう言ってみるだけで。こうして安心しきったように自分に全てを預けて、幸せだと繰り返してくれる景時が望美ももちろん、とても嬉しかった。戦が終わったとはいえ、彼の仕事が忙しくまた、簡単ではないことも望美にはわかっていて、だからこそ日々穏やかに笑う景時をちゃんと見つめているのだ。
「ね、景時さん。夫婦になってからも、私、ちゃんと景時さんには言って欲しいことがあるんです」
膝の上の景時を見下ろして望美が言う。何だろうと訝しげにそれを見上げ、景時は考えつつ答えた。
「何かな。……あ、もちろん、夫婦になってからだって、ちゃんと望美ちゃんを好きって言うよ。
 寂しい思いをさせないし。釣り上げるまでしか魚に餌をやらないようなことはしないよ」
「ありがとうございます。私もちゃんと、景時さんに好きって言いますね?」
その望美の返事では、どうやらそういうことを言って欲しいということではないらしい、と景時は内心、首を捻った。
「も、勿論、結婚してからだって、オレ、洗濯は辞めないし、時間があるときは望美ちゃんを手伝うよ。
 まだまだ慣れないことも多いんだし、オレのこと頼ってくれればいいんだし」
「景時さんってば。普段のお仕事だけでも大変なのに、そんなに無理してくれなくていいんですよ?
 でも、一緒にお洗濯は今日みたいに、とっても楽しいですよね。
 疲れていないときやお休みの日だけ、一緒にやりましょうか?」
これもどうやら違うらしい、と景時はじっと望美を見上げた。そしてどうせ自分は彼女には敵わないのだからと思い直して、問いかける。
「オレに言って欲しいことって、なに?」
「……あのね、『好き』って言ってくれるのも、優しい言葉を言ってもらえるのも、すごくすごく嬉しいの。
 毎日毎日、景時さんが楽しそうにしてくれているのも、見ていてすごく幸せになっちゃう。
 でもね、やっぱり、きっとそう言うときばかりじゃない日もあるから。
 嫌なことや、辛いことや、しんどいことがあったら、それもちゃんと言ってください。
 景時さんが辛いことも、ちゃんと半分こ、しましょうね。良いことも、悪いことも、半分こ、ね?」
「望美ちゃん……」
その言葉に景時は胸がいっぱいになってしまった。どう言えばいいのかわからない、まるで泣きたくなるような幸せな気持ち。本当に、こんな気持ちを彼女だけが自分にもたらしてくれる。
「景時さん、良いことや幸せなことは、周りにどんどん広げて皆で楽しもうって言うのに
 辛いことやしんどいことは、自分一人で抱えて、周りに見せようとしないから。
 それは景時さんの強さで優しさだと思うけど、でも、これからは二人一緒ですよ?」
そうしてそっと小指を差し出された。各々の小指を絡ませるそれが、望美の世界の約束のしるしだと以前教えてもらった。景時が自分の小指を望美の小指に絡ませると、にこり、と望美が微笑み、身を屈ませて景時の額に口づけた。
「約束……」
そうして再び離れていくその唇を、引き寄せて自分の唇で塞いでしまいたいという欲求をかろうじて抑え込んだ景時は、さらりと落ちてきた望美の長い髪を掬って言った。
「オレね、望美ちゃんがいてくれたら辛いこととか何もかも忘れちゃうんだよね。
 なんだか、すごく幸せで、嫌なことなんて世の中に何一つないような気分になっちゃうんだ。
 でも、いいことも悪いことも、半分こって言ってくれたのが凄く嬉しいから
 望美ちゃんのいいことも悪いことも、オレと半分こしてね?」
そして今度は景時から小指を差し出す。その指に望美の細い小指が絡まった。
「望美ちゃんも、約束だよ?」
そう言うと景時は起きあがり、先ほどの望美を真似て、しかし我慢できずに彼女の額ではなくその柔らかな唇にそっと口づけをしたのだった。




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