あなたの笑顔をください。 友雅×あかね編
「神子さま、大丈夫でいらっしゃいますか?」
藤姫の心配そうな顔があかねを覗き込んでいた。あかねは、ぼうっと熱っぽい頭に手をあてて、褥の中から頷いた。
「うん、大丈夫。このところ暑かったからちょっと疲れちゃったんだね。
 きっと一日休んだら元気になると思うよ」
夏の京の日差しは厳しい。まして、冷房機能が整った現代から飛ばされてきたあかねにとって、クーラーはもちろん、扇風機すらない京の夏はかなり強烈なものだった。藤姫にしても女房たちにしても、そしてもちろん、八葉の皆にしてもよくその服装で暑くないものだと尊敬してしまう。タンクトップにホットパンツ、せめてそんな服装になりたいとさえ思うほどだ。もちろん、そんなことが許されるわけもなく(そもそもタンクトップもホットパンツもこの世界にはないが)暑いながらも日々それなりに過ごしてきたのだが、とうとう今朝は、あまりに体がだるくて起きることができなかったのだ。
「泰明殿をお呼びいたしましょうか? 何か穢れがあるかもしれませんし……」
「大丈夫だよ〜! そんな大げさなことじゃないって。本当に夏バテしちゃっただけだって。
 一日ゆっくりしていたら、元気になると思うよ。だから、心配しないで?」
自分が至らないばかりに、と今にも泣きそうな顔をしている。あかねは安心させるように、自分の額に当てていた手を離し、藤姫の手をそっと握った。
「それにしても、同じところから来たってのに天真くんも詩紋くんも元気だよね〜体力が違うっていうか。
 さすが男の子っていうかさー。鍛えてる成果なのかなあ。
 私も、何か身体を鍛えた方がいいかなあ」
「神子さまったら! 鍛えるだなんて何をなさるおつもりですの」
「えー? 剣……はどう考えても無理だし、武道……も駄目だろうなあ。
 ジョギング……うーん、靴がなあ〜。ウォーキング……結構、今やってることって近いような」
本気で考えているらしいあかねに、藤姫が言葉の意味はわからないなりに、何かとんでもないことをやろうとしているというような気配を感じたらしく慌てて言う。
「神子さま、神子さま! とにかく、今はゆっくりとお身体を休めることをお考えくださいませ。
 なんだか、神子さまに大人しくお休みいただくことが一番難しいような気がして参りましたわ」
幼げな姫君にそう窘められて、あかねはぺろり、と舌を出した。
「ごめんごめん。ちゃんと今日は大人しくしてます。本当だよ?」
それでも藤姫は随分と心配げに(如何にあかねのお転婆ぶりが信用ないかということの表れと言えるが)ずっとあかねの傍についていたのだが、やがてあかねが目を閉じてその呼吸がゆったりとしたものに変わっていったのを確認すると、そっとその場を離れたのだった。
 藤姫の気配が房から消えると、あかねはぱっちりと目を開けた。あのままだと藤姫は一日つきっきりであかねの傍に居ただろう。それはあまりに申し訳ないと思ったのだ。いつもは無茶もするあかねだが、今日はちゃんと藤姫と約束したとおり、身体を休めるつもりだった。
(だって、ちゃんと元気にならないと……会えないもんね)
ゲンキンなものだと自分でも思うが、その人に会えると思うとちゃんと一日休んで元気になろうという気分になるのだ。
(友雅さんには……心配かけたくないし。元気なところ見せないとね)
本当を言えば、無理して頑張って今日だって会いたいのだが、疲れてダメダメな顔になっている自分は見せたくない。いろいろと複雑な乙女心というものが、あかねにもあるのだった。
(まだ身体がだるいし、ちょっとは眠った方がいいのかな)
取りあえず、目を閉じてみようと考える。日差しを遮られた室内は、まだ午前中ということもあり空気も熱を帯びておらず、微睡むにはちょうど良いように思えた。これが昼を過ぎると房の中も汗が滲むほどに暑くなってくるのだ。
 そういえば、夏休み、ラジオ体操が終わってから二度寝するのが好きだったなあ、などととりとめもないことを考えつつあかねは目を閉じた。
 思ったよりも疲れがたまっていたのか、そのままうとうととし始めるのにさして時間はかからなかった。やがて昇り行く太陽に室内の空気も上がり始め、うとうととしながらも肌がしっとりと汗ばむ心地がしていたあかねは、そのうちに、心地よい風が肌を冷やしてくれるのを感じた。ああ、今日は風が良く通る日なんだなあ、と思いながらも浅い眠りにたゆたっていたが、そのうちにそれをおかしいと感じ不意に意識が覚醒した。それまで眠りの淵にいたとは思えないほどすっきりと目が覚めたあかねは、自分の傍らにいる人の姿に驚いた。
「ととと、友雅さん?!」
「神子どの、お加減はいかがかな?」
友雅があかねの傍らに座して、静かに風を扇ぎ送ってくれていたのだ。柔らかな声は優しかったが、その表情は何時になく心配そうに見えて、あかねは少し困った顔になってしまった。知らせるつもりなどなかったし、藤姫もわざわざそんな遣いをやったりはしなかっただろう。今までも偶に町に出ずに藤姫と二人で過ごすこともあったし、八葉を呼ばない日があったところで不思議に思われることもないと思っていたのだ。だから、黙って一日くらい身体を休めてもばれないし、心配もかけないだろうと思っていたのだが。
「……なんでわかったんですか?」
「どうやら、私は神子どののこととなると勘がより働くらしいね。
 今日に限っては神子どののお供をさせて頂こうとこちらに伺ったのだよ。
 そうしたら、今日は神子どのが伏せっておられるとお聞きしてね」
友雅の言葉にほんのりと嬉しいような気持ちになりながらも、相変わらず心配げな表情の彼に胸が痛んだ。
「……心配かけちゃいましたね、ごめんなさい」
そう言うと、友雅の手が伸びてきてあかねの頬にかかった髪を優しく払った。
「そうだね、お加減が悪く伏せっておられるというのに、私に何も知らせてくださらないとはつれないね」
冗談とも咎めるともつかないような口調でそう言われると、あかねはますます申し訳なく褥の中で縮こまってしまう。その様子に友雅は困ったように苦笑した。
「腹立たしいのは、神子どのがこのようになるまで無理をさせてしまった私自身なのだけれど」
「ち、違いますよ! そんなの、友雅さんのせいじゃありませんって!」
慌ててあかねは、身体を半ば起こしてそう言った。その肩を優しく友雅が抱えるように支えて、横になるように寝かせる。おとなしくそれに従いながらも、あかねはじっと友雅を見上げて言った。
「友雅さんのせいじゃないです、私のせい、なんですから。無理させられたわけじゃないですよ?
 自分が勝手に、その、張り切りすぎたっていうか、頑張りすぎたっていうか」
「しかし、やはり、その無理を見抜けなかったのは、私の不徳だと思うのだけれど」
それは、だって、誰よりも友雅の前ではと元気に振る舞っていたのだから、無理もない、とあかねは思うのだが、そこまで彼に言うのも恥ずかしかった。何故、と必ず理由を聞かれてしまうだろうから。しかし、常の余裕ある微笑とは違う、自嘲気味な笑みを浮かべた彼の表情は間違いなく、自分がそうさせているのであって、あかねは仕方なく、おずおずとそう口にした。
「だって、友雅さんに、毎日会いたかったから……。一緒に町に出られるでしょう?」
(……それに、私が元気に振る舞っていたら、友雅さんもなんだか楽しそうに見えたの)
その言葉を聞くと、やはり友雅は困ったような顔で笑い、横になったあかねに額が触れあいそうなまで顔を近づけると、囁いた。
「では、やはり、私は自分を責めなくてはならないのではないかな?」
突然間近く友雅の端正な顔を見て、あかねの顔に朱が走る。低い囁きに答えを返すことも出来ずに、ぱくぱくと口を開くばかりだ。その様子を見て、友雅はふ、と微笑みを漏らして身体を起こした。その笑みは、その日初めてあかねが見た、友雅の本当の笑顔で、それだけであかねは気分が明るくなり怠かった身体まで楽になったような気がした。それが表情に表れたのか、友雅の手が優しくあかねの頬を撫でていく。恥ずかしい気持ち半分でありながらも、あかねは為すがままにその手の動きに任せた。
「こちらへお伺いしてから神子どのが暑気にあたって伏せておられると聞いたのでね。
 屋敷に使いをやって、冷えた瓜を持ってこさせているのだよ。
 それなら神子どののお口にも入るのではないかと思ってね」
「ありがとうございます。一緒に食べましょうね」
「それはどうかな」
意外な友雅の言葉にあかねは訝しげに見上げる。
「いや、実は藤姫に何も告げずにこちらへ参ったものだからね」
神子どのが伏せておられるからとすげなく門前払いにされたから、黙って庭からお邪魔したのだよ、と何でもないような顔で言う友雅に、あかねはつい、吹き出してしまった。藤姫が怒るだろうなあ、と思い、しようがない人だなあ、と友雅のことを思う半面、その行動が嬉しくもある。
「だからね、神子どのがお休みになられたら私は藤姫に見つからないように帰ることにしよう」
「……帰っちゃうんですか?」
「お眠りになるまで傍にいるから」
困らせてはいけないかなと思い、あかねは頷いた。今日は会えないと思っていた人に会えただけでもとても嬉しいのだ。
「早くお元気になってくださらないと、私の方が儚くなりそうだよ」
「ちゃんと、明日には元気になってますよ」
まだ触れたままの友雅の手に、あかねはそっと頬を寄せた。
「だって、何より一番元気が出るものを友雅さんから貰いましたから」
訝しげな表情で小首を傾げ、それは何かと表情で問う友雅に向かってあかねは少々頬を染めながら小さく言った。

……友雅さんの、笑顔、です

不意を衝かれた友雅が初めて見せた表情を、あかねはずっと忘れなかった。




遙かなる時空の中で
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