零れ落ちる雫を止めることが出来ずに
早く、早く戻らなくちゃ。
景時はただ機械的に足を動かしていた。わかっていたことだというのに、頭の中では頼朝に命じられたことが、ただぐるぐると廻っている。
(どうすればいいのか、考えなきゃ……考えなきゃダメだ)
さっきから、そればかりを繰り返しているのに、本当に必要なことが何も考えられない。
ずっと、怖れていた。
九郎が戦功をたてていくことを。敬愛する兄のために戦功を焦る九郎は、それが逆に兄の目障りになるとは思ってもいなかっただろう。
九郎には罪はない。彼は兄のために一心に努めているだけで、彼に二心はない。けれど、九郎は人を集める。それは良い人間だけとは限らない。本人に野心はなくとも、その勢いを利用して事をなそうとする者がいないとは言い切れない。例えば、京の朝廷など。頼朝にとって九郎は安定した政権の邪魔となる存在になる可能性が大きい人間になってしまったのだ。
(オレがあのとき、皆を止めることができたら)
もっと違ったかもしれない。頼朝の命を待たずに独断での戦は、頼朝をないがしろにしたものと受け取られても仕方のないものだ。
作戦を決めたときから予感はあった。そうなるかもしれないと覚悟もしていた。
それでも、実際にそうと命ぜられれば、こんなにも動揺してしまうのだと自分の心の弱さが恨めしい。
(オレがあのとき、皆を止めることができていたら、きっとこんなことにはならなかった)
兄を慕う九郎に、頼朝の真実を告げることが躊躇われた。鎌倉の実態が理想とは違うものだと告げることができなかった。仲間は純粋で、政治や戦の裏を疑ったりする人間たちではなかった。
(何か、考えなきゃ……)
命令のままに、九郎を、仲間を討てるだろうか。それは否、だ。
では、頼朝の命令に背くことはできるだろうか。それも否、だ。
ただ闇雲に動かしていただけの足を、やっと景時は止めた。止めた途端に、立っていられなくて膝をつく。地面についた手をまるで土を抉るかのように握り締めた。まるで、走ってきたかのように、息があがる。呼吸が苦しい。
(あのとき、皆を止められなかったオレが、今度こそ皆を助けるために)
できることを考えなくては。
鎌倉に従い、仲間も殺さず、そんな道があるだろうか。
なくても、その道を作らなくては。時間はあるか? まだある。敵である平家にこんなことを願うことになるとは思いもしなかったけれど。平家に力がある限り、九郎も神子の力も必要とされる。少しでも長く、平家が在り続けるように。時間を稼ぐために。
手をついた土に、雫が落ちる。雨が降ってきたようだとぼんやり考える景時には、それが己の双眸から零れ落ちるものだと気付くことはなかった。




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