嬉しいときも泣けるだなんて、知らなかった
「景時さん」
望美は景時を見上げた。ずっとずっと、二人の間に見えない壁があるようだった。その壁はもう今は感じられない。
もう、こんなにも近くに景時を見上げることができる。手を伸ばせば、触れることができる。
「望美ちゃん?」
景時が望美を見下ろして微笑む。それだけで嬉しくなって、望美は景時の腕にしがみついた。

空は青く、風は爽やかで、あの平泉の雪雲の垂れ込めた重い冬空が遠いものに思えた。
思い出せば、胸が痛くなる。景時が一人で戦っていたこと。
全てが終われば、死ぬことさえどうでもいいと思うほどに、ただ、そのことだけを考えていたこと。
バカ、と罵ったけれど。そんな風に一人で全部背負って、それで皆が喜ぶはずないのに、と怒ったけれど。
でも、あのとき一番に罵りたかったのは、自分のこと。
あんな風に景時をずっと一人で苦しませていた自分のこと。
一人、また鎌倉へ戻って、そのまま、もう皆と会うことがなくても本望だという景時に、約束をしてもらった。
もし、景時が自分のことを大切に思ってくれているのなら、少しでも自分の傍に繋ぎ止めたくて、生きることを選んでほしくて、これ以上ひとりで何もかもを背負ってほしくなくて。
その約束が果たされる日を待って、待って。長い時を待って過ごしたけれど、それは平泉でのときよりも辛くはなかった。
心は繋がっていると信じることができたから。景時がきっと約束を守ってくれると信じることができたから。
イルミネーション華やかなこちらの世界の冬が終わり、景時の好きな梅の季節が過ぎ、桜の花が散って。
そして、景時はやってきた。
照れくさそうに、でも嬉しそうに、随分と長く見ることがなかった、景時の心からの笑顔とともに。
どうやって景時が鎌倉の頼朝の下から離れることにしたのか、景時は語らなかったし望美も聞かなかった。
約束を守って、ただ望美の元へ来てくれた、その事実だけで十分だったのだ。
両手を広げて駆け寄って、抱きついた。強く強く、本当に景時かどうか確かめるように抱きしめた。
景時もまた、望美を強く抱きしめてくれた。そして
『……ごめん、ちょっとだけ、オレの顔、見ないで』
夏の熊野で同じように、景時が言った言葉が思い出されて少し望美はどきりとしたけれど。
同じように、景時の声が少し震えていたから、尚更に胸が締め付けられそうになったけれど。
『ねえ、望美ちゃん……嬉しくて涙が出るって……オレ、初めて知ったよ』
そう耳元で囁かれて。望美も景時の胸に顔を埋めて、泣いたのだった。
『……もう、悲しい涙はいりません。これからは、嬉しい涙だけ。』
景時にも、自分にも。

「望美ちゃん、お腹空かない?」
景時が腕にしがみついた望美を上から覗き込むように見つめて言う。
望美はその言葉にしばらく考え、そして頷く。
「どこか、食べに行きましょうか」
「う〜ん、あのね……」
少し恥ずかしそうな顔になって景時が言う。
「今日、お天気がいいからさ〜、屋台で何か買って、公園のベンチで食べない?
 ちょっとお手軽すぎるかな〜」
お日様の下が似合う人。本当にそう思う。望美は笑いながら景時に向かって答えた。
「いいかも! えーっと、私は、ホットドッグとポテトフライにしようかな。ソフトクリームも!」
手を繋いで。ずっと離れていた分も取り戻すように寄り添いあって。
「じゃあ、オレは焼き蕎麦!」
流した涙の分だけ、これからは笑顔で。




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