そっと口付けた、桃色のくちびる。
洗濯ものを干すまで、ちょっと待っていてね? そう言ったのは20分くらい前のことだったかな? 望美ちゃんは自分も一緒に干す、って言ってくれたのだけれど、オレのものばかりだし、さすがに申し訳なかったりして大丈夫だよ、って言ったわけだけれど。
晴れた日曜日、洗濯物を干すには上々の天気。ということは、もちろん出かけるにもぴったりな天気というわけで、これが終わったら映画にでも行こう、なんて話していた。そんなわけで、オレはいつにも増して大急ぎで洗濯物を干し終わり、部屋の中に戻ってきたのだけれど、そこで見たのはソファにもたれてクッションを抱えたまま、転寝している望美ちゃんの姿だった。
居間に軽く掃除機をかけてくれたのだろう、傍らには掃除機が。それも終わってソファに座ってしばらくは、オレのことを眺めていたのかも。そして窓からの日差しに心地よくなって、ほどなく眠気がやってきた、って感じかなあ? そっと起こさないようにオレは足を忍ばせて洗濯カゴを持って行った。
カゴも片付け、掃除機も片付け、すっかり日曜朝の家事は終了。望美ちゃんはまだ寝ている。寝顔が可愛くて起こしたくはないのだけれど、映画に行こうって言っていたから、起こさなかったら怒るんだろうなあ、とオレは考える。もちろん、映画なんて後の回を見ればいいのだし、まだ時間はあるし、急ぐ必要はないのだけれど。……ということで、オレはそっとそっと望美ちゃんの隣に腰を下ろしてその寝顔を堪能することにした。
例えば彼女が来てくれる週末。普段は目覚ましによって安眠を妨げられ、顔を洗いに洗面所へ向かうことすら億劫に感じるオレが、目覚ましより先に目覚めてそのスイッチを止めることができるのは、彼女がいるおかげ。朝の光に照らされて、オレの傍らで、眠る彼女の顔を見たいがため。伏せた長い睫が呼吸にあわせてふるふると震える様も、絹糸のような髪が白い頬にかかる様も、うっすらと開いて甘い息を零す色づいた唇も、どれほど見たって見飽きることがない。そのどれもを、こんな傍らで見ることがオレに許されているなんて、奇跡のような幸せだと思う。たまに、オレの視線が強すぎるのか彼女が目を覚ましちゃうことがあったりして、そんなときはオレもなんだか照れくさくて、まだ眠い目を擦っている望美ちゃんに「おはよっ」と声をかけるのだけれど。甘えたように擦り寄ってきた彼女が、頭がはっきりしてくるにつれて「寝顔を見ていたなんて、趣味が悪いー!」とちょっと拗ねて膨れっ面をするのに、宥めるのに苦労したりする。「寝顔が可愛かったから」といえば「普段はあんまり可愛くない?」なんて返されたりして、もちろん、望美ちゃんだって本気でそんなこと言ってるわけじゃなくて、ただ恥ずかしくって照れているだけなんだけど、オレは一生懸命謝り倒したり。……でも、それだって楽しくて幸せなやり取りなんだ。
さて、そんなわけでそろそろ望美ちゃんを起こさなくては、映画の時間に間に合わないとか、寝顔をまた眺めていたとか、ご機嫌が斜めになってしまいそうな気がする。勿論、オレは怒っている望美ちゃんも大好きで、彼女が怒ったり拗ねたりした表情を見るのも、胸がちくちくする感じも含めて好きなのだけれど、だからといってわざと望美ちゃんを嫌な気分にさせたいわけではない。なんとなく勿体ない気がしながらも、彼女を起こす決心をして、さてどうやって起こそうかな、なんて考えてみて。
そういえば、こちらの世界の西洋の御伽草紙に、眠っている姫君を若君が目覚めさせるというものがある、って望美ちゃんから聞いたっけ。妖の術で眠らされた姫君を若君が愛の力で目覚めさせるんだったよね? 夜空にかかる光の羽衣を名に持つ美しい姫君なんだって望美ちゃんは言ったけれど、そういう君だって夜空に輝く望月を名に持つ美しい姫君だよ。そう、眠る姫君を起こす方法はやっぱりこれでしょ。
桃の花のように可憐に色づいた唇に、オレはそっと口付けを落とした。
ほら、彼女の長い睫が揺れて、その唇から楽の音のような声が零れる。
「ん……景時さん」
「おはよ、望美ちゃん、映画に行く? それとも二人してもう一度寝ちゃおうか?」
甘えるように伸ばされた彼女の手をオレの首に廻させて。ねえ、映画は午後の回にして、やっぱり二人でもう一度寝ちゃおうか?
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