まだ濡れたままの髪の毛
 お風呂から上がってくると、たいてい景時さんはソファに座って水を飲みながら、テレビを見ている。別に見たいテレビがあるってわけではないみたいで、どちらかというと手持ち無沙汰なのを紛らわしているという感じ。身体を冷ますように、パジャマの上は羽織らずにシャツだけで、肩にタオルをかけてソファに座っている姿は、ちょっといつもと違って『男のひと』って見えて、私はいつも一瞬どきっとしてしまう。でも、景時さんが振り向いて、笑いかけてくれると、いつもの景時さんに戻って私は湯上がりで逆上せているせいではない、頬の熱さを誤魔化しながらソファの隣に腰掛ける。
 お風呂上がりの景時さんは、いつもは上げている前髪が降りていて、顔だけ見ていたらいつもよりちょっと幼く見える。それが、『男のひと』に見える部分とちょうど合わさって、プラスマイナス0でいつもの景時さん、に思えるのかもしれない。こんな風に、理屈っぽく考えていないと私の心臓は際限なくどきどきして治まりそうにないから、無理矢理あれこれ考察したりしていたり。
「景時さん、ちゃんと髪、乾かせました?」
そう言って私はそっと景時さんの下ろした髪に手を伸ばす。景時さんはまだドライヤーを上手に使うことができない。最初、珍しがって面白がって、使っていたけれど、熱すぎたりして加減が良くわからない上に特に頭の後ろの方は上手く風が当てられないみたい。案の定、指先に触れた髪はまだ湿ったままで。
「もう、風邪ひいちゃいますよ」
しようがないなあ、と言うようにちょっと怒ったように言うと「ごめんね〜〜」ってタオルでまた頭をごしごし擦ってみせる。その仕草が可愛くて、私はソファの上に膝立ちになると覆い被さるようにタオルで景時さんの頭を掻き回した。
「わわ、望美ちゃ〜ん」
情けない声を上げている景時さんだけれど、私がソファから落ちないようにって支えてくれるだけで、私の手をどけようとか避けようとかはしない。だから私も少し力を抜いて、ふわふわ優しく髪を拭く。ぱっとタオルを放すと、髪がくしゃくしゃになった景時さんが現れて。私は
「じゃあ、後はドライヤーで!」
と立ち上がって櫛とドライヤーを取ってくる。その間、景時さんは大人しく待っていてくれて、私はなんだか少し嬉しいようなはしゃいだ気分で、ドライヤーを片手に景時さんの髪を乾かし始める。ぎゅっと抱きついたり、背中にもたれたり。そういう触れあい方も大好きだけど、そういうときとはちょっと違う。さっきまで『男のひと』だった景時さんが、すごく身近になる時間。恥ずかしいけど触れたくて堪らないときに、景時さんに触れられる言い訳。景時さんの髪を乾かす役目はずっと私がしていたいなあ。

 望美ちゃんがお風呂に入っている間は結構暇なんだけど、髪を乾かすのは適当に済ませてしまっている。多分、きちんと乾くまで頑張ったら望美ちゃんがお風呂に入っている時間くらいかかっちゃうんじゃないかとは思うのだけれど、それではオレの幸せな時間がやってこないから。
 お風呂上がりの望美ちゃんはちょっと温まってほんのり桜色に色づいている感じがする。うっかりまともに視界に入っちゃうと、オレの心臓が走り出してしまってどうにも危ない。なるべくテレビ画面の方を見るように努力していると、彼女はオレが座っているソファの隣に腰掛けてくる。オレの心臓の音、聞こえてないよね?
 それからいつも決まって望美ちゃんはオレの髪の毛をちょっと引っ張って
「景時さん、ちゃんと髪、乾かせました?」
と確かめる。もちろん、いい加減にしか拭いていないオレの髪はまだ濡れたままで、彼女は怒ったふりをして「もう、風邪ひいちゃいますよ」と言うんだ。オレは「ごめんね〜〜」なんて言っちゃってるけど、本当に『ごめん』なのは、わざとあんまり乾かしていないってことかなあ。だって、ほら、すぐに望美ちゃんの優しい手がオレの頭を掻き回して。指が触れて、手が触れて、くすぐったくて気持ちよくて、オレはすぐにうっとりしてしまうんだ。
 ドライヤーはすごく便利でいい機械だけど、オレはそれより望美ちゃんの手が好き。オレがいつまでも髪を乾かすのが下手だって、いつか望美ちゃんに気付かれてしまうかなあ?
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