■ 背伸び ■
昨日の夜も随分と遅くまで起きていたので、眠ったのはほんの数時間前。仮眠程度の睡眠でしかないけれど、目覚ましが鳴るより先にかっきり目が覚めた。こんなとき、京での戦中の暮らしを思い出し、自分はちょっとばかり、サバイバルに慣れてしまったかもしれない、と望美は思う。まだ辺りは真っ暗で、窓の外は街灯が道を照らしているばかり。それでもさっさとベッドを抜け出して、寒い〜と呟きながらも服を着替えた。いくら寒いと言ったって、平泉よりはマシというものだ。そう思うとまだまだ平気、という気分にもなる。
階段をそっと下りていくと、なるべく音を立てないようにしてキッチンへ。やかんに水を入れて湯を沸かす間に、炊飯器を開けて炊きたてご飯でおにぎりを作る。
(えーと、梅干し、おかか、あと景時さんの好きなタラコでしょ)
新年の、正月の、朝一番からこんな甲斐甲斐しいことをするようになるとは、去年は思ってもいなかったものだ。今年はきっと良い年になるに違いない。料理だって上達するに間違いない。
(んーと、帰ってきてから一緒にお節食べましょう、ってお母さんたちが言ってたから
ちょっとお腹に入れるくらいでいいかな?)
湯が沸いたところでお茶のパックを入れて、それを用意しておいたステンレスの水筒に注ぐ。それらを保温バッグに詰め込むと、見た目ちょっと大した荷物に見えてしまった。
(……これくらい大丈夫よね?)
よいしょ、とバッグの他に肩からかけてそっと家を出る。出がけに母が降りてきて
「気をつけていってらっしゃいよ」
と眠そうな顔で見送ってくれた。
外に出るとまだ星が夜空に瞬いている。それでも、真夜中の空の色とは少し違ってきていて、闇の色が薄くなってきているのがわかる。家の外でしばらく待っていると、道の向こうから走ってくる人影が見えた。
「望美ちゃん!」
走ってきたせいか、景時の頬は少し上気していて、吐く息が白い。
「景時さん。おはようございます!」
「おはよう〜随分待った?」
「ううん、ちょうど今出てきたところですよ」
それから景時は望美の肩にかかった荷物を取って自分の肩にかける。さりげないその様子に望美は、ありがとうございます、とにっこり笑った。
「さー、それじゃあ、初日の出をみにいこうか!」
手をつないで、まだ夜明け前の道を2人歩き出した。2人で初日の出を見に行こうと約束したのは、クリスマスの後。せっかくの冬休み、毎日だって会う理由が欲しくて、望美が言い出したのだ。
こちらの世界にやってきて、一人暮らしを始めた景時は、もう慣れた、とは言うものの、賑やかだった京邸での暮らしから一変した環境をどう思っているだろう、と望美の方がむしろ心配だった。白龍のおかげで随分と都合良く、仕事も用意されていたけれど(そして景時にはその知識も備えられていたけれど)会社も年末休みに入ってしまったら、望美や有川兄弟以外に本当の意味で良く知る人がいない景時は、どうやって1日を過ごすのだろうとか、そんなことを思ってしまったのだ。
もちろん、自分と違って景時は大人だし、こちらの世界のことにも興味津々だったから、いろいろ調べものをしたり、時間の使い方だって心得ているだろうけれど。それに、そんなことを望美が気にしていると知ったら、それこそ景時は『オレってそんなに頼りなあい?』と落ち込んでしまうだろうけれど。それでも、遠く京へ自分が飛ばされてしまったとき、力を貸してくれて、生活の上でも自分を守ってくれた景時だから、望美もこちらの世界で景時の力になりたいのだ。こちらの世界では、自分がまだ2人一緒に暮らすことが許される年齢ではないことが、とてももどかしかった。
――早く大人になりたいなあ
それがここのところしばらくの望美の願いだったりするのだ。
「ああ、結構たくさんの人がいるんだね」
海岸には初日の出を待つ人々があちこちに固まっていた。水平線の向こう、やっと色を変えてきた空をじっと眺める景時を、望美は見上げた。
由比ヶ浜に昇る朝日。景時は、あちらの世界でもきっと何度も見たことだろう。彼の目にはこちらの世界の由比ヶ浜はどんな風に見えるだろう。遠く離れた故郷と同じように見えているだろうか。そんな望美の感慨を打ち消すように景時がのんびりとした口調で言う。
「オレさ〜寒いの嫌いで寝坊が好きだから、初日の出を拝むのなんて、何年ぶりだろ。
もうね、望美ちゃんに会いたい! その一念で飛び起きたからね。
初日の出を一緒に見ると、ずっと幸せになれる、とか、そういうのってないの?」
こちらの世界では、景時の知らないようなジンクス、といわれるものがあれこれ存在する。そういうもののことを景時は言っているのだろう。望美は思わず笑ってしまうが、そんな軽口を叩いている景時の表情と水平線を見つめる瞳が、存外に真面目なのに気付いて、ぎゅっと景時の手を強く握った。
きっと、望美が何を気にするかなんてことは、とっくに判っていて、だからそんな風に軽く言ってしまったのだろう。初日の出を見るのが何年ぶりか、なんていうのは嘘ではないかもしれないけれど、きっと、そんなとき、景時を起こすのは朔だったり、邸にやってきた九郎の声だったり、今はもう声を聞くこともできない大切な人たちだったはずだ。望美はぎゅっと景時の手を握ったまま、同じように段々と白んでくる水平線に目をやって言った。
「こうやって、一緒に手をつないで、初日の出を見た人は
ずっとずっと一緒にいられるんですよ! そして、すごく幸せになるの」
もちろん、そんなのは口から出任せなことだけれど、それでも絶対に景時と自分はそうなってみせると心に決めた。碧い海をきらきらと輝かせながら、太陽がその姿を遠い果てに現す。誰からともなく、歓声が起こった。景時の表情も笑顔になる。望美は昇っていく太陽よりも、その光に照らされて少しオレンジ色に見える景時の顔を見上げていた。笑顔の口から漏れる息が白くて、少し眩しげに細められた瞳は、何かに感動したみたいに少し潤んでいて。
絶対に、この人を幸せにしたい……ううん、してみせる
そんな風に思って胸がいっぱいになる。
「景時さん」
呼びかけると、景時は優しい笑顔のまま望美を見下ろした。精一杯背伸びをして、それでも届かずにその顔に望美は手を伸ばして景時を屈ませ、そっと口づける。
背伸びをしても届かない差が今はまだあるけれど、急いで大人になるから。あなたを支えることができるように、あなたを一人にしなくてもいいように。
「望美ちゃん……?」
真摯な望美の表情に、景時が少し戸惑ったような表情になる。望美はにっこりと微笑むと
「今年も良い年にしましょうね。ずっと一緒ですよ」
そう言ってぎゅっと抱きついた。