■ ひざまくら ■
今日は朝から望美たちは忙しく立ち働いていて、景時もたまに厨を覗いては朔に小言をくらっていた。
「兄上はあちらでお待ちください！ 部屋の準備などすることはありますでしょう」
そうは言っても、そんなことは疾うに邸の者たちが済ませていて、景時は本当に待つくらいしか仕事がない。
「景時さん、お昼にはもう皆さんいらっしゃいますし、こちらの準備もできますから」
望美が少し申し訳なさげに言うのに「オレに出来ることあったら何でも言ってね」と言い置いて部屋に戻る。新年の宴とは違って、こんな年の瀬にも皆が集まって宴を催すということが、望美たちの世界ではあったらしい。『年忘れ……忘年会って言うんですよ。一年間、ご苦労さまでした、っていう意味で皆で盛り上がるんです』へぇ〜、と感心していると『この一年は、本当に皆、ご苦労さまだったから、やりませんか、忘年会。九郎さんや弁慶さんや、先生や、皆を招いて』と続けられた。賑やかなことは好きだし、望美がやりたいということならば叶えたいと思うので、景時に否の返事はない。さっそく文を皆に届けたのが数日前のことで、今日がその当日なのだった。
そんなわけで朝から厨では望美や朔も加わり、邸の者たちも集まって宴会のための準備をしている。洗濯はともかく、料理については全く役に立たない景時は暇を持て余していた。何かするにしても、昼ごろからは客人も集まるとあっては中途半端な時間になってしまいそうで、手につかないのだ。ぼんやりと部屋に座す景時の耳にも、厨の賑やかな声が小さく聞こえる。中に混じって、望美と朔の笑い声が聞こえるのが、何より景時の胸を温めた。なかなかいいものだなあ、とそんなことを考えているうちに、つい、うとうととしてしまったらしい。
うっかり眠っていたらしい景時は気がついて慌てて起きようとした。時間がどうなのか気になる。
「あ、目が覚めましたか？ 退屈させちゃってごめんなさい」
頭上で声がして二度びっくりした。柔らかい枕だと思っていたのは望美の膝らしい。
「のぞっ、望美ちゃん、えと、あの、準備は……時間は……」
慌てて身体を起こそうとするが、望美が安心させるようにそっと景時の頭を元の位置へ導く。
「まだ大丈夫ですよ。厨の方は譲くんがお手伝いに来てくれたから、
景時さんの様子を見に来たの。景時さんも一年ご苦労さまってねぎらいたいから
お手伝いしてもらうんじゃなくて、ゆっくりしていて欲しかったんだけど退屈でした？」
つまりは、景時はもてなす側ではなくてもてなされる側だったということなのだろうか？ その心遣いは嬉しいけれど、迎える一家の主人として、準備は妻に任せて自分はどっしり構えるなんてことは景時にはできそうもない。
「んー……せっかくだから、オレも何か準備しよっかな。望美ちゃんの邪魔してちゃいけないね」
「もう、邪魔だなんて思ってないですってば」
ひょい、と腹筋を使って身体を起こすと、景時は望美に向かって笑いかけた。
「ごめんごめん。でも、ちょっといいこと思いついたからさ。
望美ちゃんにも、一年の間のご苦労様っていうねぎらいをね……」
発明が閃いた景時の表情はわくわくしていて楽しそうだ。望美はくすり、と笑みを零すとそれじゃあ、と立ち上がった。
「じゃあ、私ももう少し、腕によりをかけてきます。
本来は譲くんもおもてなしされる側なのにお手伝いしてもらっちゃって申し訳ないから」
昼も近くなると客人が訪れ始める。九郎は手土産に、と酒を持ってきたし（自分が呑む分という話もある）弁慶はつまみに、と干した魚を持ってきた。唐渡りの甘菓子や山菜の佃煮など、持ち寄ったものを併せればそれだけでも結構なものになったろう。宴とはいえ、宮中のものとは全く違って、望美曰く「無礼講って言ってね、もう、堅苦しいことなし！ 楽しく食べて騒ぎましょう、っていう宴会なの」というもので、始まると共に宴席は賑やかしくなった。
「冬はね、鍋って決まってるんですよ」
と、味噌味としょうゆ味、二種類の鍋が用意されていてお互い酒を酌み交わし、箸を伸ばす。こういう食事も、初めてのことだった。だいたいが、一人ずつ膳に分けられているものだ。しかし、これはこれでわいわいと楽しくて悪くないよなあ、と景時は思う。
「景時、一献どうだ！」
九郎が瓶を手に杯を景時に手渡す。杯を飲み干して九郎に返すと、九郎は楽しげに言う。
「いいもんだな！ こうやって仲間と宴を楽しめるというのは」
本当に、と思う。一年前はこんなことできる状況ではなかった。景時も全く心の余裕がなくて、そう、一年前はどうやって死のうかとそんなことばかり考えていた気がする。
「本当だね、九郎。こんな日が来るなんて、思ってもいなかったよ」
「俺は、こんな日がくると思っていたぞ。こんな日のために、戦っていたんだ」
景時に返した九郎のその台詞に、一瞬景時は言葉を無くす。九郎を見つめると、特に何を思ったというわけでもなく、ただ当たり前のことを言ったというだけのようで、表情は変わらず笑顔のままだった。
「……ああ、そうだったね。こういう日のために、オレたちは戦っていたんだっけ」
だから、やっぱり、九郎には敵わない、そんな風に思って景時も微笑む。それから、思い出したように傍らに置いた銃を手に取った。
「なんですか、景時。物騒な余興というわけではないでしょうね」
弁慶が笑みを含んだ声でそう言う。景時は、立ち回っていた望美と朔も席について、と促した。
「望美ちゃんは、オレの隣ね」
ちゃっかりそう言う景時に、かといって突っ込む人間もいない。望美も少し照れ臭げではあっても、景時の隣の席に腰を落ち着けた。景時は手にした銃を天井へと向ける。
「せっかくだからね、熊野の時の花火の応用っていうかな？ 幻術を使ってみたんだけど」
「兄上、食べ物があるのですから、台無しにならないように失敗しないでくださいませ」
朔が冷静にそう言うのに、景時は少しだけ肩を落とした。
「朔〜……ひどいよ。そりゃまあ、絶対対丈夫、とは言わないけどさ〜」
「景時、いいからやるならやれ。お前なら出来る」
言葉は優しいが実際には目の前の料理に手を伸ばしながら棒読みで、九郎が言う。はいはい、と景時は溜息をついたが、その手にそっと望美の手が重ねられたのに気を良くして、望美に笑顔を向けると、銃の引き金を引いた。
パン、と乾いた音と共に何かが弾け、部屋の中だというのに、ふわりふわりと雪が降ってくる。
「わ〜、きれい！」
「幻術だからね〜、冷たくもないし、積もりもしないし。
でも、雰囲気はいいでしょ」
上手く行った上に、望美から感嘆の声があがったことにご満悦で景時が上機嫌で言う。
「なるほど、景時に頼めば宴も華やかなものになりそうですね」
弁慶が回りくどく褒めてくれるのに、景時は照れながら
「き、宮中とかの宴は駄目だよ〜オレ、緊張すると駄目なんだから」
と言う。「おや、それは使えない」と容赦なく言う弁慶に景時がしょげて、望美が庇う、そんなお約束のやりとりも、皆の笑い声を誘った。
随分と気分良く、久しぶりに賑やかに食べて呑んで、景時は上機嫌だった。
「望美ちゃん、楽しい？」
傍らの望美に問いかけると、すぐに笑顔が返ってくる。
「もちろん！ 皆が集まって、賑やかで。楽しいです。景時さんは？」
「オレも！ 毎年やりたいね、こういうの」
「毎年やりましょう。皆が集まれる家がいいですもん。景時さんもそうでしょう？」
望美に言われれば、きっと来年もその次の年もこうやって皆で集まって楽しく宴ができるような気がして、景時はほうっ、と満足な溜息をつくと、ころり、と望美の膝に横になった。それは、ほとんどクセのようなもので、無意識の動作であったのだけれど、その場の一同にとっては驚くものだったようで、一瞬声がなくなる。満足げに望美の膝の上で目を閉じていた景時は、様子のおかしさにやっと気付いて薄目をあけ、皆が自分を見ていることに気付き、そしてやっと自分の状況に気付いた。
慌てて起きようとするのを、望美の手が留める。
「いいですよ。今日は一年間お疲れさま、の宴なんですから。
景時さん、お疲れさま」
九郎は赤い顔で視線を逸らし、リズヴァーンと会話を始める。弁慶は「あんなにすんなりとということは、景時ときたらいつも望美さんにしてもらっているんでしょう」と笑いを含んだ声で呟く。「……兄上ったら……」と溜息混じりに言う朔の声も聞こえる。これは当分、というか、これからずっと、仲間にからかいの種にされるなあ、と思いながらも、望美がいいと言ってくれるので、景時は心地よいこの場所から起きあがるのを止めた。
「望美ちゃん」
小さく呼びかけると「はい？」と柔らかい返事が返ってくる。
「今日は本当にありがとう。そして、お疲れさま」
宴が終わったら、今度はオレが枕になってあげる。そんなことを呟いて、景時は心地よさに誘われて目を閉じた。
「兄上はあちらでお待ちください！ 部屋の準備などすることはありますでしょう」
そうは言っても、そんなことは疾うに邸の者たちが済ませていて、景時は本当に待つくらいしか仕事がない。
「景時さん、お昼にはもう皆さんいらっしゃいますし、こちらの準備もできますから」
望美が少し申し訳なさげに言うのに「オレに出来ることあったら何でも言ってね」と言い置いて部屋に戻る。新年の宴とは違って、こんな年の瀬にも皆が集まって宴を催すということが、望美たちの世界ではあったらしい。『年忘れ……忘年会って言うんですよ。一年間、ご苦労さまでした、っていう意味で皆で盛り上がるんです』へぇ〜、と感心していると『この一年は、本当に皆、ご苦労さまだったから、やりませんか、忘年会。九郎さんや弁慶さんや、先生や、皆を招いて』と続けられた。賑やかなことは好きだし、望美がやりたいということならば叶えたいと思うので、景時に否の返事はない。さっそく文を皆に届けたのが数日前のことで、今日がその当日なのだった。
そんなわけで朝から厨では望美や朔も加わり、邸の者たちも集まって宴会のための準備をしている。洗濯はともかく、料理については全く役に立たない景時は暇を持て余していた。何かするにしても、昼ごろからは客人も集まるとあっては中途半端な時間になってしまいそうで、手につかないのだ。ぼんやりと部屋に座す景時の耳にも、厨の賑やかな声が小さく聞こえる。中に混じって、望美と朔の笑い声が聞こえるのが、何より景時の胸を温めた。なかなかいいものだなあ、とそんなことを考えているうちに、つい、うとうととしてしまったらしい。
うっかり眠っていたらしい景時は気がついて慌てて起きようとした。時間がどうなのか気になる。
「あ、目が覚めましたか？ 退屈させちゃってごめんなさい」
頭上で声がして二度びっくりした。柔らかい枕だと思っていたのは望美の膝らしい。
「のぞっ、望美ちゃん、えと、あの、準備は……時間は……」
慌てて身体を起こそうとするが、望美が安心させるようにそっと景時の頭を元の位置へ導く。
「まだ大丈夫ですよ。厨の方は譲くんがお手伝いに来てくれたから、
景時さんの様子を見に来たの。景時さんも一年ご苦労さまってねぎらいたいから
お手伝いしてもらうんじゃなくて、ゆっくりしていて欲しかったんだけど退屈でした？」
つまりは、景時はもてなす側ではなくてもてなされる側だったということなのだろうか？ その心遣いは嬉しいけれど、迎える一家の主人として、準備は妻に任せて自分はどっしり構えるなんてことは景時にはできそうもない。
「んー……せっかくだから、オレも何か準備しよっかな。望美ちゃんの邪魔してちゃいけないね」
「もう、邪魔だなんて思ってないですってば」
ひょい、と腹筋を使って身体を起こすと、景時は望美に向かって笑いかけた。
「ごめんごめん。でも、ちょっといいこと思いついたからさ。
望美ちゃんにも、一年の間のご苦労様っていうねぎらいをね……」
発明が閃いた景時の表情はわくわくしていて楽しそうだ。望美はくすり、と笑みを零すとそれじゃあ、と立ち上がった。
「じゃあ、私ももう少し、腕によりをかけてきます。
本来は譲くんもおもてなしされる側なのにお手伝いしてもらっちゃって申し訳ないから」
昼も近くなると客人が訪れ始める。九郎は手土産に、と酒を持ってきたし（自分が呑む分という話もある）弁慶はつまみに、と干した魚を持ってきた。唐渡りの甘菓子や山菜の佃煮など、持ち寄ったものを併せればそれだけでも結構なものになったろう。宴とはいえ、宮中のものとは全く違って、望美曰く「無礼講って言ってね、もう、堅苦しいことなし！ 楽しく食べて騒ぎましょう、っていう宴会なの」というもので、始まると共に宴席は賑やかしくなった。
「冬はね、鍋って決まってるんですよ」
と、味噌味としょうゆ味、二種類の鍋が用意されていてお互い酒を酌み交わし、箸を伸ばす。こういう食事も、初めてのことだった。だいたいが、一人ずつ膳に分けられているものだ。しかし、これはこれでわいわいと楽しくて悪くないよなあ、と景時は思う。
「景時、一献どうだ！」
九郎が瓶を手に杯を景時に手渡す。杯を飲み干して九郎に返すと、九郎は楽しげに言う。
「いいもんだな！ こうやって仲間と宴を楽しめるというのは」
本当に、と思う。一年前はこんなことできる状況ではなかった。景時も全く心の余裕がなくて、そう、一年前はどうやって死のうかとそんなことばかり考えていた気がする。
「本当だね、九郎。こんな日が来るなんて、思ってもいなかったよ」
「俺は、こんな日がくると思っていたぞ。こんな日のために、戦っていたんだ」
景時に返した九郎のその台詞に、一瞬景時は言葉を無くす。九郎を見つめると、特に何を思ったというわけでもなく、ただ当たり前のことを言ったというだけのようで、表情は変わらず笑顔のままだった。
「……ああ、そうだったね。こういう日のために、オレたちは戦っていたんだっけ」
だから、やっぱり、九郎には敵わない、そんな風に思って景時も微笑む。それから、思い出したように傍らに置いた銃を手に取った。
「なんですか、景時。物騒な余興というわけではないでしょうね」
弁慶が笑みを含んだ声でそう言う。景時は、立ち回っていた望美と朔も席について、と促した。
「望美ちゃんは、オレの隣ね」
ちゃっかりそう言う景時に、かといって突っ込む人間もいない。望美も少し照れ臭げではあっても、景時の隣の席に腰を落ち着けた。景時は手にした銃を天井へと向ける。
「せっかくだからね、熊野の時の花火の応用っていうかな？ 幻術を使ってみたんだけど」
「兄上、食べ物があるのですから、台無しにならないように失敗しないでくださいませ」
朔が冷静にそう言うのに、景時は少しだけ肩を落とした。
「朔〜……ひどいよ。そりゃまあ、絶対対丈夫、とは言わないけどさ〜」
「景時、いいからやるならやれ。お前なら出来る」
言葉は優しいが実際には目の前の料理に手を伸ばしながら棒読みで、九郎が言う。はいはい、と景時は溜息をついたが、その手にそっと望美の手が重ねられたのに気を良くして、望美に笑顔を向けると、銃の引き金を引いた。
パン、と乾いた音と共に何かが弾け、部屋の中だというのに、ふわりふわりと雪が降ってくる。
「わ〜、きれい！」
「幻術だからね〜、冷たくもないし、積もりもしないし。
でも、雰囲気はいいでしょ」
上手く行った上に、望美から感嘆の声があがったことにご満悦で景時が上機嫌で言う。
「なるほど、景時に頼めば宴も華やかなものになりそうですね」
弁慶が回りくどく褒めてくれるのに、景時は照れながら
「き、宮中とかの宴は駄目だよ〜オレ、緊張すると駄目なんだから」
と言う。「おや、それは使えない」と容赦なく言う弁慶に景時がしょげて、望美が庇う、そんなお約束のやりとりも、皆の笑い声を誘った。
随分と気分良く、久しぶりに賑やかに食べて呑んで、景時は上機嫌だった。
「望美ちゃん、楽しい？」
傍らの望美に問いかけると、すぐに笑顔が返ってくる。
「もちろん！ 皆が集まって、賑やかで。楽しいです。景時さんは？」
「オレも！ 毎年やりたいね、こういうの」
「毎年やりましょう。皆が集まれる家がいいですもん。景時さんもそうでしょう？」
望美に言われれば、きっと来年もその次の年もこうやって皆で集まって楽しく宴ができるような気がして、景時はほうっ、と満足な溜息をつくと、ころり、と望美の膝に横になった。それは、ほとんどクセのようなもので、無意識の動作であったのだけれど、その場の一同にとっては驚くものだったようで、一瞬声がなくなる。満足げに望美の膝の上で目を閉じていた景時は、様子のおかしさにやっと気付いて薄目をあけ、皆が自分を見ていることに気付き、そしてやっと自分の状況に気付いた。
慌てて起きようとするのを、望美の手が留める。
「いいですよ。今日は一年間お疲れさま、の宴なんですから。
景時さん、お疲れさま」
九郎は赤い顔で視線を逸らし、リズヴァーンと会話を始める。弁慶は「あんなにすんなりとということは、景時ときたらいつも望美さんにしてもらっているんでしょう」と笑いを含んだ声で呟く。「……兄上ったら……」と溜息混じりに言う朔の声も聞こえる。これは当分、というか、これからずっと、仲間にからかいの種にされるなあ、と思いながらも、望美がいいと言ってくれるので、景時は心地よいこの場所から起きあがるのを止めた。
「望美ちゃん」
小さく呼びかけると「はい？」と柔らかい返事が返ってくる。
「今日は本当にありがとう。そして、お疲れさま」
宴が終わったら、今度はオレが枕になってあげる。そんなことを呟いて、景時は心地よさに誘われて目を閉じた。