■ 相手の視点 ■
「えいっ、えいっ」
テンポの良い、タン、タン、という打ち付ける音に合わせて、子どもの声が庭から届く。
「若様、良い調子ですぞ」
囃し立てているのは邸で働いている者たちだろう。もう始まっているのね、と微笑んで、望美は自分も庭へと廻った。厨では餅米を蒸す蒸気がもくもくと立ち上っていて、冬というのに燃えさかる薪のおかげで暑いほどだ。まだこれから蒸し上げる餅米も晒しの上にあけられている。
庭では、いつも警護を行ってくれている者たちが、寒さをものともせず片肌脱ぎで笑い合っている。輪の中心にいるのは、まだ幼い子ども。その身体で重い杵を手にしている。もちろん、それを後ろから支えて、一緒に握っている大人がついているのだが、子どもは自分が杵を手に、餅をついているつもりだ。
その子どもの目が望美を見つける。
「ははうえー!」
途端に、その意識が望美の方へと向かって杵を持つ手が疎かになる。後ろで支えていた大人――景時は、息子に向かって呼びかけた。
「こら、景季、ちゃんとつかなくちゃ。美味しいお餅にならないぞ」
「はい、ちちうえ」
言われた景季は、また臼へ向き直ると、懸命に「えい、えい」と杵をつき始めた。昨年は、自分も父上のように餅をつきたいと駄々をこねていたけれど、さすがにまだ小さくて後ろで支えるといっても杵を持たせることができなかった。今年はやっと念願の餅つきができて、嬉しそうだ。あれもこれもと興味が広くて、楽しいことが大好きなのは父親の影響だろうと望美は思う。しかし、あれもこれもとやりたがって、できないとなるとできるようになるまで頑張ってしまうのは、望美に似ていると景時は言う。『オレは頑張り屋じゃなかったからね〜』そんな風に言いながら、景季を見る景時の目は嬉しそうだ。
「さあ、じゃあ、景季、あとは父が仕上げづきをするから、お前は母上のところに行きなさい」
言われた景季の下唇が不満そうに少し尖る。その顔は望美が拗ねたときの顔にそっくりだと、いつも景時は言うのだけれど、望美にしてみれば上目遣いのその表情はやっぱり拗ねたときの景時にそっくりだと思う。しばらく強情に杵を握っていた景季だが、やがて「はい」と言って望美の方へと駆けてきた。その小さな身体を受け止めて、
「ご苦労様、景季。さあ、父上が仕上げてくださるのを見ましょうね」
と背中から抱きしめる。うん、と頷いた景季の目は、片肌脱いで力強く杵を打ち下ろす父を一心に見つめていて、その視線は憧れに輝いていた。
つきあがった餅は熱いうちに形に整えられていく。今は次の餅米を邸で働いている者が交互についていた。景季は邸の者たちと一緒になって、その周りで囃し立て、笑っている。景時と望美は並んでその様子を縁に腰掛けて眺めていた。その傍らには、つきたての餅と、茹で上がった小豆が乗った皿。
「後で九郎のところに餅を届けなくちゃね」
「あら、九郎さんのところでも餅つきするんじゃないんですか?」
「そうだけどさ〜! 景季が初めてついた餅だよ〜? お裾分けしなくちゃ」
要するに、息子自慢なわけで、望美は思わず笑ってしまう。その様子に景時は少し照れたように頬を掻いた。
「……オレって親バカ? 九郎たちにも散々言われるんだけどさ〜
でも、九郎たちも景季を可愛がってくれるしね、そのお礼も兼ねてって感じで」
「いいえ、私だって、景時さんと同じ、親バカですもの」
そう言って望美は皿の上の餅を景時に差し出した。
「景季がついたお餅を一番最初に食べるのは、景時さん、ね?」
「望美ちゃんも、一緒にね」
分け合って口に入れれば小豆の甘さが餅に絡まって美味しくて堪らない。きゃあきゃあと囃し廻っていた景季は目ざとく父母のその様子に気付いて
「かげすえも!」
と駆け寄ってきた。その身体を膝の上に抱き上げて景時が笑う。
「後で父ともう一臼一緒につこうか? できるかな?」
「できます! かげすえも ちちうえみたいにできます」
望美が口元へ運んでくれる餅を頬張りながら、精一杯にそう答える姿に皆が微笑ましげに笑い合った。
穏やかな冬のこんな1日。それが当たり前の風景になったのはごく最近の数年のことだ。源氏の世になってからも、西国はなかなか安定せず小競り合いが続いたし、景時が邸に落ち着くのが難しい日も続いた。それでも、戦のない穏やかな日を作るために皆が力を尽くし、今のこういう風景を手に入れたのだ。景季には、戦を経験させたくないね、と景時は言う。武家の倣いと武術を九郎に学んだりもしているけれど、それを実戦で使う事がない世にしなくてはね、と。
餅を食べ終わると、また景季は景時の膝から滑り降りて餅つきの輪の中へ駆け戻って行った。その姿を見送る景時と望美は同じ瞳をしている。そんなお互いの表情に気付いた望美は可笑しくなって笑いを零した。
「ん? どうかしたの?」
景時が顔を向けると望美は微笑む。
「私と景時さん、景季を見るときは同じ目だな、って思って」
その言葉に景時も笑った。父と母と、全く同じではないであろうけれども、それでも大きくは親として同じ視点で子どもを見つめて、育む。お互いが大切な唯一の人であるのは変わらないけれど、違う絆も築いてきた証でもある。それは嬉しいことだった。
そんなしみじみした思いに更ける景時に、面白そうに望美が続ける。
「……そう思うと、景時さんを見る景季の目って私と似てるかも」
「……ええ?」
「すっごく素敵でかっこよくて大好きって目してるでしょ?」
不意打ちの言葉に景時が慌てる。意識する間もなく顔が熱くなるのがわかってしまった。
「の、望美ちゃん、この場でそれは狡いでしょ〜」
「えー? そうですか?」
いつもそういう目で見つめてるつもりなのに気付いてませんでした? とまで続けられて、景時は降参の体になる。かがみ込んで顔を隠したそのままで、そっと隣の妻を見上げて呟いた。
「君を見る目はオレと景季では違うからね。
……だって、君を見て不埒なことを考えるのは、オレだけに許されることなんだから」
「……! も、もうっ! 景時さんってば、何の話なんですか!」
「君がオレを見つめる視点と、オレが君を見つめる視点の話」
仕返しとばかりにそんなことを言われ、望美の頬も熱くなる。
父母が互いに縁で惚気あっていることなどつゆ知らず、景季が無邪気に手を振る。
「ちちうえ、つぎは かげすえがついてもいいですか」
冬晴れの日、梶原邸は穏やかで幸せな時間が流れていた。