*雨に降られた十日間*
■傘も差さずに■
電車を降りた景時は、駅舎から外を見て『やっぱりなぁ〜』と思った。今朝は快晴だったというのに、今はしとしとと雨がふりそぼっている。少々疑いを隠せない様子だった望美に、半ば強引に傘を持たせて良かった、と思った。駅舎内のキオスクには「雨傘売り切れ」の張り紙。思いがけない天気の崩れに、雨傘を手にすることができたのは幸運な人だけだったのだろう。傘のない人たちが手に手に携帯で迎えを頼んだり、タクシーも乗客に困らない様子だ。
若い男子学生とおぼしき集団は、半ば楽しげに雨の中に駆けだしていった。誰が一番早く目的地まで走っていけるか競争でもしようというのだろうか。しみこむような霧雨に、そう遠くまで行かないうちに彼らはずぶ濡れになってしまうことだろう。けれど、それも愉しむ心づもりのような陽気さに、自分にもあんな友人がいた、とふと目を細める。懐かしい、共に戦場を駆け抜けた友。うっかり思い出に浸りそうになって我に返り、待ち合わせの場所に行かなくては、と足を進めかけて、また景時は立ち止まった。
 一瞬、その後ろ姿を望美かと思ったのだが、良く見なくてもその少女は髪を短く切りそろえていた。年頃は同じくらいに見えたけれど背の高さも違うし、体つきも、望美よりさらに細くて華奢だ。望美はすらりとしているけれど柔らかな女性らしい丸みが「華奢」という表現を連想させない。本人はもう少し痩せたい、と時折つぶやいているけれど、景時にしてみれば何をもったいない、と思うばかりだ。それはともかく、そんな望美とは見た目も全く違う少女が何故景時の目を惹いたのかといえば、やはりどことなく発する雰囲気が望美と似ていたということだろう。それも不思議なことだ、と景時は内心少し首をひねった。望美のような『気』を持つ人を景時は知らない。
 うーん? と不思議に思いながら声をかけてみようか、でも声をかけてどうするわけでもないしなあ、と思い悩んでいた景時だったが、その少女が傘もささずに外へ駆け出そうと一歩を踏み出した途端に、驚いて思わず声をかけてしまった。
「ち、ちょっと……っ!」
「は、はい?」
声をかけた景時も驚いたけれど、急に呼びかけられた少女も驚いただろう。怯えと警戒のないまぜになった顔で振り向かれる。そりゃあ、どう考えても自分はちょっと怪しいよなあ、と思いつつも、景時は自分が手に持っている傘をその少女に差し出す。
「えーと、さ、傘もささずにこの雨の中に飛び出すのは、ちょっと女の子には無謀かな、って。
 良かったら、オレの傘、どうぞ」
「いえ、あの、そしたら、あなたの傘が……」
やっぱり警戒した風で少女は身を引きつつそう答える。突然こんなこと言われても確かに危ない人に思われてしまうかもしれないよなあ、と景時は少し困った顔で頬をかいた。その表情があまりにも情けない様子だったのか、少しだけ少女の警戒が解けたように感じる。怖じ気づいたように引き気味だった身体がちゃんと景時に向き直って、まじまじと景時を見上げてきた。先ほどまでと少し違って、真っ直ぐ見返してくるその視線に、
(あ〜、こういうところが望美ちゃんにちょっと似てるかも……)
と景時は思った。それから傘をもう一度、少女に向かって差し出す。
「ん〜、ええと、実はオレ、ここからすぐの喫茶店で彼女と待ち合わせているんだ。
 それで、彼女も傘持っているから大丈夫。
 ほらっ、相合い傘なんてしてみたいかなー、なんて、ね?」
彼女がいる、と言えばそんなに警戒しないかな? と思って景時はそう言ってみる。それから少女が遠慮するといけないと思って、さらに付け足した『相合い傘』の言葉に途中で自分で照れてしまったりして。少女はそんな景時の様子に、やっとふっと微笑を漏らした。それから、そっと差し出された傘に手を伸ばして受け取る。
「……ごめんなさい、それじゃあ、お言葉に甘えてお借りしてもいいですか。
 ちゃんとお返ししたいので、住所教えてくださいますか」
やっぱり、全然似ていないのに全体から漂う雰囲気というか、纏う気のようなものが望美と似ているんだな、と景時は内心納得する。それから、マンションの住所をメモに書いて手渡した。
「留守だったら、ドアにかけておいてくれてもいいし、着払いなんかで送っちゃってもいいし、
 そのままもらっちゃってくれてもいいから、気にしないでね」
「そんなわけにいきません…………それに知らない人から傘もらったなんて言ったら
 友雅さんってば気にしそうだし……」
後半はかなり小さな声で景時には聞き取れなかったが、少女は必ず返しますから、と何度も言い置いてふり返りふり返り、駅を後にした。
景時はそれを見送って、少女の後ろ姿が見えなくなってから、時計を見る。
「おっと、望美ちゃんを待たせちゃう!」
少しばかり覚悟を決めるように息をすって、それから景時は雨の街へと駆け出した。
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