*雨に降られた十日間*
■びしょ濡れのTシャツ。■
(景時さん、遅いな〜)

望美は雨模様の窓の外を眺めながら、さめかけたコーヒーに口をつけた。景時がやってきたらケーキセットをおごってもらおう、なんて考えている。今朝の天気から思えば、夕方こんな雨になるとは思いもしなかったけれど、それを当ててしまうのはさすが景時だ。あれは十分に特技だと望美は思う。
 おかげでこの喫茶店まで濡れずに来ることができた。望美が店に入ったとき、客は他に一人だけだった。その人は雨が上がるのをしばらく待っていたようだったが、なかなか降り止まない雨に、ため息をついて立ち上がる。濡れるのを覚悟で店を出ていこうとしたその人に、つい声をかけてしまったのは、その人がつい思わず目を奪われてしまうほど端正な顔立ちをしていたから、というだけではないだろう。
(う〜ん、なんだろうなあ……ハンサムな人だったけど、ちょっとなんか胡散臭そうでもあったし
 本当だったらあんまりお近づきになろうとは私は思わないタイプだと思うんだけど)
男というのに、望美ほどではないにせよ髪をのばして緩く束ねた姿は、もしかして何処かのバンドの人か? とか思ったりして、何かどこか見知ったような気がするのは、それでテレビで見たことあるから?? とか考えてみたりもしたのだけれど、そういうわけではないと思い直したり。
(やっぱり、気のせいだよねえ、全然似てないんだけど、どこか景時さんに似てるような気が一瞬だけした、なんて)
多分、その人を前にした景時に向かって『どこか似てるような気がするんです』なんて言ったら、『えぇ〜〜! うそっ、そんなのありえないでしょ〜〜〜』と驚いて声をひっくり返してしまうだろう。望美だってそう思う。全く似てない。……でもなんだか似てる、気が、する。
 そんな出会いを景時に言うべきか言わざるべきか、と思ったところで、もはや今、望美の手には持ってきた傘がないのだから、ある程度は景時に話さなくてはならないだろう。
(う〜ん、男の人に傘を貸した、なんて言ったら景時さん、焼き餅焼いちゃうかな?)
しかし、多少は焼き餅を焼いてほしいような気持ちもある。が、景時の場合、焼き餅を焼くより先に落ち込んだりしないかと、そっちが心配だ。
(でも、景時さんも傘を持ってるから、相合い傘で帰れるし、って思ったんだもん)
そう想像して少しうきうきしたのも事実。そう、「傘がなくて困っている人がいる」「傘を貸したら景時がもしかしたら焼き餅をやくかも?」「景時と相合い傘で帰れる」この3つの条件が重なったのだから仕方ない。望美がその人に「良かったら、傘、使ってください」と言ったとしても、そう、仕方ない。その人が、まるで望美が逆ナンパをしたかのように、一瞬薄ら寒い視線で望美を見下ろしたのに(なんだってこんな人が景時さんに似てるかも、なんて一瞬でも思ったんだろう!!)と憤慨したのも、まあ置いておいて。もちろん、憤慨した望美は『彼が! もうすぐ、ここに来てくれるんで! 困ってるみたいだったから、どうかと思っただけなんですけど!!』と、勢いよく言ってしまって、かえってその人を怒らせてしまったかと一瞬後悔したのだが……逆にその人はそれで呆気にとられたのか、面白げに笑い出すと『それは失礼したね…』と望美の傘を受け取ったのだった。その際に『私の白菊と君は少し似ているようだから、好意をお受けするとしよう』と謎めいた言葉を残されたのは、多分ご愛敬なのだろう。
そんな不思議な出会いを思い出してぼんやりしていると、店に誰かが駆け込んできた。慌しくドアに吊るされたベルが鳴る。望美が顔を上げると、びしょ濡れになった景時がいた。
「か、景時さんっ?!」
驚いた望美は思わず席を立って駆け寄る。
「あー、望美ちゃん、待たせてごめんね〜」
へにゃりと笑って景時が言う。慌ててハンカチを取り出した望美は景時の頭や肩を拭うが、中にきたTシャツまで濡れてしまっていた。
「どうしたんですか? 傘、持っていませんでした?」
持っていなかったはずもない。望美に半ば強引に傘を持たせたのは景時なのだから。
「あ、あぁ〜……うん、ごめんねえ」
途端に景時の言葉の歯切れが悪くなる。望美は怪しげに景時を下から見上げた。何かどうやら隠していることがあるらしい、と睨みつける。
「んーと、ええと、あのね、駅で困っている人がいたから、傘、貸してあげちゃったんだ」
そして、ごめんね、と小さく付け加える。望美は唇を尖らせた。困っている人に傘を貸したのに、なんで、なんて怒ったらそれでは自分が心の狭い人間みたいではないか。人に傘を貸して自分が濡れるなんて、なんて景時らしい。
「だって、望美ちゃんも傘持ってるから、ここまで来たらほら、二人で一緒の傘に入って帰ればいいかな、って」
その言葉を聞いて望美も思い出す。そう、傘は、ない、のだ。困った顔になった望美に、景時が今度は訝しげな顔になる。望美はその顔を見上げて、肩を竦めて言った。
「……ごめんなさい、私も、困ってる人がいたから、傘、貸しちゃったんです……
 景時さんと一緒の傘に入って帰ればいいかな、って思って……」
その言葉を聞いて景時も驚いた顔になる。それから二人お互いに顔を見合わせて、噴出す。景時が濡れているのも構わず、望美はその身体に抱きついた。
「走って帰らなくちゃいけませんね! そうだ、どっちが早く帰れるか競争しましょう!
 それで、負けた方が、お風呂を沸かすの!」
景時も笑って答える。
「それより、一緒に手を繋いで走って帰ろうよ」
そして、望美の耳に唇を寄せて囁く。
「……それで、お風呂も一緒に入ろうよ」
もちろん、それは望美に怒られたのだった。(でも結局、望美は景時に押し切られてしまったのだが)

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