*雨に降られた十日間*
■君の笑顔を見れば、空は晴れ渡るから。■
手をつないだまま走って帰ってきたものの、降り続く雨に2人とも随分と濡れてしまったのは否めない。もともとずぶ濡れ状態だった景時はともかくとして、望美の方も長い髪がすっかり湿り気を帯びて重そうだ。
玄関を開けた後、景時は「ちょっと待ってて」と望美を待たせて自分は一足先に部屋に入る。洗面所の扉を開けてタオルを何枚も取り出すとそれを持って玄関へ引き返し望美に手渡し、すぐにまた引き返した。
「風邪引いちゃうから早く拭かないとね!」
タオルを受け取った望美が「景時さんも…」というより先に自身は風呂場へ向かってバスタブに湯を入れる。一刻も早く望美の体を温めなくては、とそんな気持ちでいっぱいだった。蛇口をひねればその後は何が出来るというわけでもないのに、その場でもどかしく湯気のたつのを眺めていたら、背後からぱさりとタオルをかけられた。玄関先でとりあえず体を拭いた望美が上がってきたのだ。
「……景時さんも体拭かないと」
「あ、ああ、ゴメン、廊下濡らしちゃったよね」
濡れたまま家に上がったのだから当然のことだ。もしかして望美が拭いてくれたのだろうかとあわてて外に出ようとしたのを押しとどめられる。
「そうじゃなくて。景時さんも濡れたままだったら風邪ひいちゃうでしょ」
咎めるような言葉は、しかし優しい響きで口から発せられた。下から見上げる視線は、どこか困ったような表情で。かけられたタオルにぼんやり手をやって、情けなく髪をごしごしと拭うと、優しい手がそれに重ねられた。
「眉間。……皺よってますよ?」
小首を傾げるようにそう言われて、自分が随分と難しい表情になっていたことに気づく。望美はそんな景時を見上げて微笑んだ。
「良いことしたんですから、そんな難しい顔しないでください。
 たまにはこんな風に濡れるのも楽しいじゃないですか。
 それにほら……ええと、ね、ほら、正当な理由で、一緒にお風呂にも入れるでしょ?」
軽口のつもりでそう言いながら、頬が赤くなるのは普段そんなこと言い慣れないせいで。それでも景時を気遣ってそう言ってくれることが嬉しかった。全身ずぶ濡れだって悪いことばかりじゃない、良いことだってあるじゃない、と言ってくれているのだ。もっとも、景時は『望美にとって悪いことになってしまった』と少し凹んでいるのだが、望美は『景時にとって良いことだってあるから落ち込まなくてもいい』と慰めてくれているわけで、そのあたりの微妙なすれ違いが景時にしてみれば愛しくもあり、自身が尚更情けなくもあり。駅で一人、傘がなくて困っていた少女に傘を貸したことは、見て見ぬふりができなくて自分が濡れる分にはそれで良かったのだが、まさかそれに望美まで巻き込んでしまうとは思ってもいなかったのだ。いつだったか、朔に言われたことがある。『兄上は優しいけれど、誰にでも優しいということは、時には人の迷惑にもなります』それは手痛い言葉だけれど、今回のような時には、本当にその通りだと思えてしまう。しかし、だからといってあのときあのまま、傘を貸さずにいたなら、やっぱり、今も少しばかり後悔していたのではないかと思うのだ。
「望美ちゃん……その、濡れちゃって……」
「はい、その続きはナシ! どうせ、ごめんとか言おうと思っているんでしょう?」
最後まで言わしてもらえず、口を望美の指が抑える。
「ねえ、景時さん、傘を貸しちゃったのは、私だってお互い様だし、
 それに、私はそんな風に誰かに傘を貸すことができる優しい景時さんが好きですよ?
 景時さんと一緒にいると、自分も優しくなれる気がするんです。
 それに、景時さんと一緒だったら、雨に濡れることだって全然悪くないっていうか、楽しいって思えます。
 景時さんは、どうですか?」
そう言って望美があんまり見事にきれいな笑顔を見せてくれるので、景時も思わず笑顔になる。濡れたって風邪ひいたって、そんな小さな不運は二人一緒だったらちょっとした幸運にだって出来ると彼女は言い切ってくれるのだ。なんだか自分が眉間に皺寄せて焦っていることが、可笑しく思えてくる。
「……そうだね、望美ちゃんと一緒だったら、雨に濡れていたって心の中はいつでも晴天って感じかな」
「ふふっ、偶然! 私も景時さんと一緒だったら、そんな感じです」
そう笑った望美が、小さくくしゃみをした。
「っと、いけない、いけない。もうかなり湯も溜まったね! 濡れた服は脱いじゃってお風呂にしよう〜〜!」
慌てて景時は望美の服のボタンに手をかける。望美もそれに合わせて
「景時さんも、服びしょ濡れじゃないですか! こんな悠長に話してる場合じゃなかったかも!」
といいながら景時の上着を脱がせようとする。お互い、それぞれ自分で脱いだ方が早かったかもと気付いたのは濡れた服を洗濯機に放り込んだ後のことで、温かな湯に浸かってしまえば、そんなことは瑣末な事柄に思えた。
すっかり温まって風呂を出た後、窓を開ければ雨は止んでいた。
「あ〜、雨、止んでるよ。あんなに降ってたのになあ〜」
なんだか少しばかり悔しい気持ちになってしまうけれど、すぐに思いなおしてくすりと笑う。どんな雨でも彼女の笑顔を見れば心はいつだって晴天、なんて言ったけれど。彼女が笑ってくれたなら、こんな風に本当の空さえ晴れてしまうのかもしれない。
「景時さーん、何か飲みませんかー、お湯沸かしましたよぅ」
キッチンから望美の声がする。
「ココアでも淹れようか〜、望美ちゃん、ちゃんと髪、乾かした?
 ココア飲んでる間、オレがドライヤーかけてあげるよ〜」
景時は窓を閉めて望美の元へと向かった。
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