*雨に降られた十日間*
■水たまりに映った、君の泣き顔。■
夏休みになってから、望美は毎日景時の農場に入り浸っていた。すっかり式神とも仲良しになって、毎朝早くから作業にいそしんでいる。これまで野菜の収穫だとか鶏の世話だとか、もちろんやったことがなかったというのに、景時と一緒というだけで何もかもが楽しい。自分が食べているものを自分で世話して作って収穫して、と思うと、『食べる』ということへの想いが変わった。家で料理をしていても、ちょっと勿体無い切り方を母がしていたりするとついつい、口を出してしまう。『あー! だめだよ、それ、皮だって食べられるんだから!』……それに、これまで料理は苦手で、何か作ってみようなんて気にもならなかったのが、自分の手で美味しく料理してあげたい、と思ってしまう。母には随分と冷やかされたが、そういう自分の変化は望美にとっては良いことのように思えた。
お互いに、好きだとかなんだとか言い合ったわけではないけれど、自分は景時のことが大好きだし、多分、景時だって望美のことを好きでいてくれると思う。そうでなかったら、毎日こんな風に一緒にいさせてくれないんじゃないかと思うし。このまま、いつか、この農場で一緒に暮らすことになったりして……と妄想を膨らませて望美は一人で顔を赤くした。
「望美ちゃん? 大丈夫? 暑くてのぼせちゃったかな? 中に入って休憩しようか。
 今日の分の収穫は出来たし、ほら、なんだか夕立が来そうだ」
傍に来た景時が空を指差す。重くて黒い雲が太陽を覆い隠そうとしていた。そうですね、と望美が応えて立ち上がると同時に大粒の雨が降り出してくる。
「きゃー、降って来ましたよ!」
思わず手を景時に伸ばして、手をつないで家へ駆け込む。それでも濡れてしまった髪をぷるぷると首を振って雫を飛ばす。薄いシャツは濡れて肌に張り付いて気持ち悪いが、着替えなどない。景時もなんだか視線を逸らして目のやりばに困っているようで、望美も、もじもじしてしまう。景時は黙ったまま家の奥へ向かうと、大きなタオルを持ってきて望美にふわりとかけた。
「風邪ひくといけないから、これで拭いて」
「は、はい、ごめんなさい……」
「いや、謝るならオレの方だよ、ごめんね。望美ちゃんが手伝ってくれるのに甘えて、毎日こんな手伝いさせちゃって」
その声が変に沈んで聞こえて、望美はタオルの間から顔を上げて景時を見上げた。なのに、景時はそんな望美をタオルでくるむようにして顔を見ないようにしてしまう。
「か、景時さん……! わたし……」
「ね、望美ちゃん、もうここに来なくてもいいよ、ほら、式神が手伝ってくれるから
 オレだけでも十分畑の世話も、鶏や牛の世話もできるし……
 買い物もね、雑貨屋さんに野菜や卵や牛乳を卸すことにしたんだ、だからそっちで買えばいいから……」
望美は何故突然景時がそんなことを言い出したかわからなかった。聞き間違いかとさえ思った。耳に響く夕立の音に紛れて、景時の言葉を聞き違えたのかと。けれど、そんなことはなかった。
「わ、私、もしかしてずっと、景時さんの、邪魔でしたか?」
声が震えそうになるのをなんとか抑えて、そう言う。けれど、景時はそれには答えずにただ繰り返すだけだった。
「もう、ここに来ちゃいけない。君に、迷惑をかけたくないんだ」
「わたし、迷惑なんて思ってません。来たいから、来てるだけなのに……」
景時さんの本当の気持ちはどうなんですか。そう言いたくて景時の手を振り払い、タオルを取り払う。そうして景時に向き直って、何か言おうと思うのに上手く言葉にできなかった。涙が出そうになって、ぐい、と手の甲で目を拭うと
「景時さんの、バカッ!」
と言って家を飛び出した。
「の、望美ちゃん! 待って! まだ雨が……!」
景時の声がしたが構わず外に出る。雨が肌に当たって痛かったけれど構わずそのまま走り続けた。農場を出て道を走るころには髪が重く、雨粒が服を濡らして体にまとわりつき走りにくくなってしまう。それでもなんとか走って、でも雨のせいか涙のせいか前もよく見えないようで足が遅くなり。とぼとぼと歩き出そうとしたとき、後ろから腕をとられた。
「望美、ちゃんっ!」
それは、景時だった。離して、というように腕を振り上げてみるが、景時は強く望美の腕を掴んでけして離そうとはしなかった。
「もう、会いたくないならそう言って、追いかけてこなければいいじゃないですかっ!」
思わず望美がそう叫んでもう一度走り出そうとしたとき、景時に背後から強く抱きしめられた。
「……ごめんっ! ごめん……ごめんね」
景時もびしょ濡れで、濡れた肌の冷えた感触が触れ合う部分から再び熱を取り戻していく。近く強く景時を感じて、望美はそれ以上、彼を振り払うことができなくなった。
「……迷惑なんかじゃない。君が来てくれるようになって、もっともっと毎日が楽しくなって
 君が来てくれるのが待ち遠しくなって、朝からずっと一緒に居られるようになったのが嬉しくて」
降り始めと同じく、唐突に雨が止んで急に日差しが明るく二人を照らした。足元にはけれど、雨の名残の大きな水溜りがあって、望美と景時を映していた。涙の残る望美の顔と、そして背後から望美を抱きしめる景時の顔も映して。そして望美は気付く。自分よりもずっと、景時の方が泣き顔のようにつらそうな顔をしていることに。
「……景時さん」
「……オレね、望美ちゃん。君に言ってないことがたくさん、あるんだ。
 何故、この街にやってきたのか、とか。昔、何をやっていたのか、とか。家族のこととか……
 君が、何も聞かないことをいいことに、言ってないことが、たくさんあるんだ」
ある日突然、町外れの農場にやってきた不思議な人。でも今は町の皆が彼のことを知っていて、信頼していて、大好きなのに。
「……オレね、本当はすごく、イヤな人間なんだよ、君に好きって言ってもらう資格なんて、ないんだ」
「そんなことない! そんなこと、ない。
 私が知ってるのは、そりゃあ、景時さんの一部分かもしれないけど、
 でも、でも私はそれでも景時さんが好きなんです。
 どんな過去があっても、秘密があってもいいの。
 それごと全部、それでも景時さんが好き。そう言えるくらい、好き」
だから、景時さんがイヤじゃなかったら一緒にいさせて。そういうとなおさら強く抱きしめられた。
「……オレは駄目だな。こんな風に手放せなくなる前に、君と離れなくちゃいけなかったんだ。
 でも、きっと、もう、無理だ。
 ……オレも、君が、好きだ。望美ちゃんが、好きだよ」
その言葉を聞いて、望美の瞳から雫が一粒、水溜りに落ちて跳ねた。
それから二人、ずぶ濡れのまま、また農場への道を辿る。手に手を取って。
「景時さん、いつか、景時さんが話したいと思ったときに、話してくださいね。
 景時さんの心を重くしていること。知りたいんじゃなくて、
 少しでもその重荷を軽くすることができたら、って思うから」
そう言った望美の手を、景時は答える代わりに強く握り締めた。
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