*雨に降られた十日間*
■駆け込んだ先で出会ったのは。■
「やだ、降ってきた!」
望美は空を見上げて眉を顰めた。家はまだ道の先。傘はない。走って帰るにも濡れるのはまぬがれないだろう。町の東側にある家まではまだまだ遠い。どこか雨宿りが出来る場所を、と思って駆け出した望美は、ポケットの中に手を入れた。小銭が少々。仕方ない、雑貨屋に寄って、何か買い物するついでに雨宿りをさせてもらおう。
心を決めて、雑貨屋の扉を開けて中に飛び込んだ。
「わ、大丈夫かい? 降ってきたんだ」
飛び込んだ途端に、頭上から声が聞こえて望美は驚いた。顔を上げると、望美の上から扉の外を眺める長身の青年がひとり。まじまじと見上げる望美の視線に気付いた彼は、慌てたように一歩後ずさると笑ってみせた。
「ごめんごめん、びっくりさせちゃったかな」
その笑顔が本当にすまなそうだったので、望美も思わず微笑んでしまう。
「雨、降り出しちゃったんだねー」
その笑顔に安心したのか、彼がそう言う。そうして、自己紹介もせずに初対面の相手に親しげに話しかけていたと気付いたように決まり悪そうな顔になって言った。
「あ、あっと、ごめん! えーと、オレは……」
「梶原景時さん、でしょ?」
望美がそう言うと、彼は心底驚いたような顔になって彼女を見返した。
「え、え? どうしてわかったの? もしかして、君、心が読めるとか?」
その慌てっぷりが可笑しくて、思わず望美は声を出して笑ってしまう。
「違いますよ、町の南外れの農場にふらりと引っ越してきた人がいる、って町では結構有名ですよ」
「え、オレって有名人? そうなの?」
「それに、えっと、お隣の譲くんが、梶原さんとこのお野菜や卵、とっても美味しいって」
「あ、あー! 君、そうか! 譲くんのお隣さんなんだ!」
もちろん、それだけでは彼の顔を知ってるはずもない。本当を言えば、町外れの農場にある日ふらりと住み着いた人に興味津々だった望美は、譲から「結構、いい人だよ」なんて話を聞いてこっそり様子を見に行ったことがあるのだ。別にこっそり行かなくても良かったし、譲と同じに野菜や卵を買いに行けばよかったのだが、なんだか物珍しいと思っているのがばれるようで気恥ずかしかったのだ。こっそり覗きに行く方がよほど恥ずかしいとはそのとき気付かないのがなんとも言えないが。とにかく、そうして農場の前を通りかかったような顔をして、そうして、実に楽しそうに嬉しそうに鼻歌を歌いながら野菜を収穫する彼を見てしまったのだった。
「そっかー、譲くん、うちの野菜、気に入ってくれてるんだ、嬉しいなあ」
「わ、私も美味しいお野菜、買いたいなあって」
かあ、と頬を紅くして望美はそう言った。あんなに嬉しそうに、そして野菜を慈しむように世話する姿を見て、もっと近くで彼を見てみたいとか、あんな風に大切に扱われた野菜はどんなに美味しいだろうとか、そんな風にずっと思っていた。けれど、きっかけがなくてなかなか野菜を買いにもいけなくて。譲に紹介してもらえば良かっただろうが、譲にそう言うことが恥ずかしかった。
「本当? もちろん、大歓迎だよ! いつでも買いに来てね。
  ……えーと……」
そこでやっと望美は自分が彼に名前を教えていないことを思い出した。
「望美です、春日望美……」
「うん、望美ちゃん、ぜひ来てね」
それから景時は手にしたものを望美に見せる。
「ほら、ここの雑貨屋さんでね、夏野菜の種を今日は買いにきたんだ。
 これ、トマトでしょ、こっちがとうもろこし。夏の盛りになったらたくさん取れるようになるよ。
 今は春野菜の最後かな、かぶやきゅうりがあるからね。
 そうそう、夏になったら、桃やオレンジもとれるから!」
嬉しそうにそう言う景時の顔がやっぱり眩しくて、望美はなんだか目が離せない。そんな望美の様子に気付いているのか気付いていないのか、景時が窓の外を見遣って言った。
「あ、ちょっと雨が小降りになってきたみたいだ。 今のうちに帰ったほうがいいね〜。
 望美ちゃんは、何を買いにきたの?」
はたと望美は気付いて何か自分に買えそうなものを探す。そうして棚からチョコレートを手にとった。すると、景時は望美の手からそのチョコレートを取り上げると、自分の持った野菜の種と一緒にレジへ向かう。
「か、梶原さん……!」
「景時でいいよ〜、これからお得意さんになってくれるかもしれないから、これはご挨拶がわり、ね?」
振り向きざまに軽くウインクされて望美はその場に立ち尽くす。頬が熱くて、思わず両手で頬を押さえてしまう。これは、なんだか、とっても、何かが、おかしい。
「はい、望美ちゃん、お待たせ」
やがてレジから戻って来た景時はチョコレートとキャンディをひとつ、望美に手渡した。ぱっと問いかけるように顔を上げた望美に景時は「おまけだよ」とまたウインクをする。
「か、景時、さん」
景時について雑貨屋の扉を出ていきながら、望美が呼びかける。ん? と小首を傾げて振り向いた景時に、望美は結局、ただひとこと
「あの、ありがとうございました」
そう伝えるのがやっとだった。
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