*雨に降られた十日間*
■髪の毛はまだ湿ってる■
(景時さん、いるかなー)
望美はうきうきした足取りで農場へ向かっていた。いつもは昼過ぎや夕方に農場へ野菜や卵を買いに行くのだが、今日は違った。春の終わりに出会って以来、毎週が3日おきになり、2日おきになり、最近では毎日出掛けるのが日課になっていた。母親には冷やかされるが、望美は『野菜だって卵だって毎日取れたてで新鮮な方がいいでしょ』と言いきっていた。もちろん、頬を赤く染めていては何を言ってもいい訳にしかならないが。
そんなわけで毎日農場で取れたて新鮮野菜や卵を買っていたのだが、今日はまだ朝早い。陽が昇ったばかりの時間で、きっとこの時間ではまだ景時も農場で野菜の手入れをしている時間だろう。もちろん、望美としては、それが狙いだ。可愛い恰好と作業に適した恰好との間で大変葛藤したけれど、今朝はなんとか折衷案を編み出して、ジーンズとコットンシャツにバンダナで髪を纏め上げてきた。これで、景時の手伝いだってできるだろう。いきなり行って驚いたりしないだろうか、と思いながらも、口の中で何度も台詞を練習するように繰り返す。
「えーと、いつも美味しいお野菜が嬉しいから、今日はお手伝いに来ました!……唐突かなあ。
 今朝は早起きしちゃって、だからお手伝いに来てみました! ……白々しいかな。
 今日は私にもお手伝いさせてください!……いきなりすぎる? えーと……」
どう言いつくろってもやっぱり、唐突なのは否めない気がした望美は、結局出たとこ勝負でいいか、などという気持ちになったのだった。だいたい、昨日の夕方にも買い物に来たのだ。それを一晩たって朝すぐに、なんて
「朝食用のトマトください……って言っても嘘っぽいもんね」
と肩を竦める。ようするに
(景時さんがあんなに楽しそうにうれしそうにやっていることを、私もしてみたいんだ。
 それで、もっと近くで景時さんの笑顔を見ていたい)
思わず上気してしまいそうになるのを、ぶんぶんと頭を振って振り払い、先を急ぐ。
農場についた時には、陽は上ったばかりで夏の日差しもまだ優しかった。夏は早朝のうちに収穫してしまわないと昼間は外での作業は大変だからね、と景時が言っていたのを思い出して、なんとか間に合ってるかな、と考える。一応、農場の端にある景時の家の扉をノックしてみるが、返事もなく鍵もかかっているようなので、そのまま畑の方へと廻った。すると、トマトのしげる葉の合間から見慣れた髪が見えた。背負った籠に時々赤い実が放りこまれるのがわかる。ちょうど、収穫中のようだ。手前の茄子畑を越えて近づこうと望美は畑に近づいた。
(………あ、れ?)
そして、気付く。トマト畑に景時はいる。なのに、茄子畑に水がちょうど今、撒き散らされている。地面の方からぱあっと水が噴出すように、順番に動いていくのだ。どこから水が湧いて出ているのか不思議に思って、望美はそうっと近づいた。茄子の葉をそっと掻き分け、その下を覗いたとき…………
「きゃあっ!!」
ばしゃっと下から撒かれた水が望美の顔にかかり、髪まで濡らした。その声に驚いたようにトマト畑に蹲っていた景時が体を起こす。
「の、望美ちゃん?」
水の勢いでしりもちをついてしまった望美は、恰好悪い場面を景時に見られてしょんぼりしてしまった。練習してきた台詞も台無しだ。
「……おはようございます、景時さん……」
しばらくの後、望美は景時の家でタオルを借りて髪を拭いていた。冷たいはちみつレモン水を作って景時が望美の前のテーブルに置いてくれる。それから、望美の手からタオルをとって優しく髪を撫でた。
「まだ濡れてるね、ごめんね〜」
すまなそうに言う景時に望美も返す。
「いえ、私の方こそすみません……お手伝いに来たのに、かえって邪魔しちゃって……」
「なんのなんの、そんなことないよ〜。お手伝いなんて気を遣わなくたっていいんだよ。
 オレは毎日ここの野菜を買いに来てくれるだけで、ほんと嬉しいんだから」
「そ、そうじゃなくて、私が、景時さんと一緒にいたいからお手伝いしたくて…………っ!!」
思わず立ち上がって力説してしまった望美は自分の言葉にまたぺたりと椅子にへたりこむ。顔がこれ以上ないくらい真っ赤になったのが自分でもわかった。
「……えと、うん……それは、すごく嬉しいな、ありがとう」
随分と戸惑ったような声音におそるおそる景時を見上げると、彼もまた赤い顔をして何度も頷いていた。なんだかお互いに照れくさい表情ではちみつレモン水を飲んだ後、望美は、はたと思い出した。
「そうだ! 景時さん! 茄子に水! 水を撒いていたの、あれはナニ?!」
そう、望美は茄子の葉の下を覗きこんだときに見てしまったのだ。小さな体で一生懸命水を撒いている生き物を!
「……あー、あれ、見ちゃった?」
「見ちゃいました! なんですか、あれ、すっごく可愛い!!」
「……かわいい?」
「可愛いですよ! 初めて、あんなの。すごい!」
途端に景時の表情がほっとした様子になり、また嬉しそうになる。
「……そっかー、可愛いか〜。ありがとう! そんな風に言ってくれたの望美ちゃんが初めてだよ!」
ぎゅっと両手を握って力強くそう言われ、望美は思わず大きく頷いてしまう。
「か、可愛かったですよ、でも、あれ、何なんですか……」
「あっ、そうそう……あの、あれはね、オレの式神なんだ。普段は目に見えない世界にいて
 ちょっとオレがお願いしたらこう、出てきて手伝ってくれる。
 あ、でも、ほら、皆けっこう、気味悪がるから、その……できれば秘密に……」
「すごい、景時さんって魔法使いなんですか?」
「や、えーとね、魔法は使えないけど。陰陽師っていうんだけど、昔ちょっと、そんなことしてたっていうくらいでね」
ぽりぽりと恥ずかしげに景時が頬をかきながら言う。望美にとっては、魔法使いも陰陽師も違いはわからなかったが、景時が思っている以上にすごい人で、素敵な人だということだけはわかった。
「……あの、お手伝い、まだ間に合いますか? それに、その式神さんにもちゃんともう一度会ってみたい、です」
椅子から立ち上がってそう望美が言うと、景時が嬉しそうに応えた。
「もちろん、望美ちゃんに時間があるなら、うれしいよ!
 それに、式も喜ぶと思うんだ!」
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