*雨に降られた十日間*
■虹の真下まで走ろう!■
「景時さーん! そっち、お掃除、どうですか」
しばらく住む人がいなかった家は、少し埃っぽくて隅々掃除しなくてはならなかった。それでも元々そんなにたくさんの家具は置いてなかったので、楽ではあったけれど。朝から雨模様な今日は外ですることがないので、家の中の掃除にはちょうど都合が良い。
「ごめんねー、こっちはあと、ベッド組み立てたら大丈夫かなー」
「えー? ベッド、入れ替えるんですか」
壊れてたんですか、と問いかけるように景時のいる部屋に入った望美は、景時が組み立てているベッドの大きさに驚く。
「え、え、景時さん、このサイズって」
どう考えてもシングルサイズではないそのベッドを組み立てようと奮闘している景時は、顔を上げて肩を竦めた。
「んー、だって、ほら、前のベッドだと狭いでしょ」
何が、なんで、とは言えずに望美はただ口をぱくぱくさせながら顔を赤くする。秋、冬との間、この牧場を留守にしていた景時は、春と一緒に戻ってきた。
『遅くなっちゃって、ごめんね』
そう言って照れくさそうに笑った彼に、嬉しくて何も言えずにただしがみ付いたのは、ほんの数日前。景時は、変わったと望美は感じる。以前は、どこかよそよそしさや躊躇いを感じた望美への態度が、ただ真っ直ぐに迷いなくなった。それはとても嬉しくて、嬉しくて、そして、すこし恥ずかしくもある。
「そうだ、景時さん、町の西外れにね、新しく薬草屋さんが引っ越してきたんですって。
 隣町まで行かないと、お医者さんがいなかったから、皆ちょっと助かるなあって言ってるんですよ」
そう言うとぴくり、と景時が反応して手が止まった。
「えーと……望美ちゃんもそのお店、行った?」
「いえ…私は別に病気じゃないし。でも、そこ、動物のお薬もあるそうなんで
 ほら、ここの動物が病気になっても安心でしょう」
「……うん、まあ、腕は確かだろうねえ」
ははは、と笑って頬をかく景時に望美は小首を傾げた。訝しげな様子の望美に景時は肩を竦めてちょっと困ったように微笑んだ。
「……オレ、戻って来たけど、やっぱり君に何も話していないよね」
歩み寄ってきた望美は景時の隣に腰をおろして、目線を合わせて微笑む。
「別に、聞かなくたって平気です。景時さんは戻ってきてくれたんだし、それに……
 もう、心配することは何もないんだなって、景時さんの顔を見たらわかるから」
いつもどんなときも、自分をただ真っ直ぐに見つめて揺らがなかった望美がいてくれたから、景時は自分を変える勇気が持てた。景時は思わず目が潤んでしまうのを誤魔化すように顔を俯けて強く一瞬だけ目を閉じてから、顔を上げた。
「オレね、ちゃんといろいろあったこと解決してから戻ってきたんだけど……
 なんかねー、結局、仲間にも付き合わせちゃったっていうか……
 逃げるんじゃなくて、ちゃんと辞めてこようと思ったんだけど、そしたら他の仲間も一緒に辞めちゃってさ」
「……そんなお友だちだったら、景時さんがいなくなってた間、ずっと心配していたんじゃないですか?」
「そうだねえ、のこのこ帰ったもんだから一発くらっちゃったよ」
あはは、と笑って景時は言った。
「で、ね。そんなにオレが居心地が良いっていう町なら、って……どうせ何処なりと行く場所決まってないしってさあ
 オレについてきちゃったっていうか……」
「……え? あの薬草屋さん……え、そうなんですかっ?」
深く景時は頷いた。
「ついでに、多分、そのうちもう一人くらい引っ越してくる人がいるかも……」
「それから?」
望美の言葉に景時は首を傾げる。それから?
「お友だちのことは良くわかりました。良かったですね! とても大切なお友だちなんでしょう?
 でも、景時さん、家族のことも、って言ってたから……」
ああ、景時が話すまでは何も聞かずにいてくれながら、それでも望美は自分のことをとても心配していてくれたのだと景時は今更ながらに気付く。
「……ありがとう、うん。大丈夫、家族はね、元の町で元気に暮らしてるから。
 でも、そうだね、今度、一緒に会いに行ってくれる?
 オレがお嫁さんにしたい人なんだ、って紹介したいんだ」
「…………もちろんです!」
頬を赤くして望美は何度も頷いた。照れくさいのを誤魔化すように窓の外を振り向いて、そして思わず立ち上がる。
「景時さん、ほらっ」
何時の間にか雨が上がって、空に虹がかかっていた。まるで今の二人の心のように。
「景時さん、新しいベッドのシーツとか、買ってないんじゃないですか?」
「あっ! そうだ、すっかり忘れてる!」
なんとか組み立て終えて部屋にベッドを置いた景時が頭を抱える。
「買いに行きましょう、ほら、雨も上がりましたし、ね!」
二人手を繋いで外へ出ると、虹が町の中央から天へ伸びているように見えた。
「すごいすごーい、まるでこれから虹のふもとへ向かうみたいです」
でもすぐに消えてしまうんだろなあ、と望美が残念そうに呟くと、景時が繋いだ手を大きく振って望美に向かって言った。
「走っていこうか、もしかしたら虹が消えるまでに間に合うかも!」
その答えを待つまでもなく、駆けだした景時に、望美もつられて走り出す。虹のふもとなどたどり着けるはずも無い場所ではあるけれど。やがて望美は笑って景時に負けないように走り出した。それでも二人一緒だったら、虹のふもとにさえも辿り付けて、七色のアーチの真下をくぐることが出来るに違いない。
そんな風に思うことができたから。
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