■ あなたに近づきたい ■
新年というのに、朝から浮かない顔で望美は溜息をついた。戦の最中とはいえ、年明けて2日、華やいだ空気が京の町にも漂っていたし、それはここ京邸でも同じだった。朝餉の膳も正月らしいもので彩られ、年賀の書状が届いたり、届けたり。常とは異なることで景時たちも忙しそうだ。
しかし、そういうこととは関係なく、望美の気分は晴れない。平家の軍は西へ落ち延び、歴史でいうところの屋島、壇ノ浦の決戦まであと僅か、戦の終わりはもう見えているはずだと譲は言う。そうなれば、きっと世は穏やかになり不安もなくなるはずだ……と思うのに、望美の今朝の気分は最悪だった。
はぁ〜〜〜〜
盛大な溜息の後、落ち込んだように三角座りした膝に顔を埋めてしまった望美の頭上から声がかかった。
「望美ちゃん?」
慌てて望美は顔を上げる。そこには、書き終えた書状を手にした景時が立っていた。
「どうかしたの? 部屋の前通ったら盛大な溜息が聞こえてさ。
朝餉のときも、あんまり元気なさそうだったけど……体調悪い?
弁慶に薬でも貰ってこようか」
心配げな表情で景時は望美の顔を覗き込むように自身も膝をついてかがみ込む。望美は間近く迫るその顔に頬が熱くなるのを感じて少し後ずさった。
「な、なんでもないんです、大丈夫です」
なんでもないことなのに、そのはずなのに、ただ不安なだけ。そんな望美を注意深く景時はじっと見つめて、それから少し考えて言った。
「うーん、じゃあさ、望美ちゃん、今日は暇?」
「……は? ええと、ええ、まあ、特には……」
話の展開についていけないものの、望美はとりあえず問いに答える。すると景時は嬉しそうに笑って
「じゃあ、この書状を届けに六条堀川へ行くんだけど、一緒に出かけよう」
と言うと望美の手をとって立ち上がらせたのだった。
「寒くない?」
外へ連れ出した張本人のくせに景時は望美にそんな風に問いかけてくる。望美は大丈夫です、と答えると景時を見上げた。彼がこんな風に自分を連れだしたのは、何か意図があるのだろう。
「帰りにね、市を見て帰らない? 今は賑やかだよ〜。
甘菓子や美味しいもの買って帰ろうよ。
望美ちゃんの欲しいもの、何でも買ってあげるからさ〜」
やっぱり、と望美は思った。こんな風に気分転換させれば気持ちも晴れるかと思って、連れ出してくれたのだと思う。その気持ちが嬉しくて堪らない。先への不安はあっても、やっぱり今のこの気持ちが嬉しい。嬉しさと切なさのないまぜになったような顔で笑う望美に、景時は少し真面目な顔になって言う。
「ね、望美ちゃんにはいつも笑顔でいて欲しいんだ。
お日様みたいに、きらきらした笑顔でさ。オレはこんなことしかできないけど、さ」
頼りなくてごめんね、と頬をかく景時に、ふと望美は気付いて言う。
「景時さんって、陰陽師でしたよね」
「え? うん、まあ、修行中だけどね〜」
「その……夢占いとかって出来ます?」
「ん〜? どうしたの、もしかして、それが溜息の原因?」
望美は少し俯いて頷いた。
「初夢って、一年の運試しみたいなものじゃないですか。
なのに、あんまり良くない夢で」
すごく気になる夢で、それが心にひっかかって取れない。どこか切羽詰まったかのようにさえ見える望美の様子に、宥めるように景時はその背をさするように手を添えて笑いかける。
「でもね、悪い夢が必ずしも悪いことを示しているわけではないよ?
ほら、逆夢っていって、悪い内容でも本当はとても良い場合だってあるんだしさ。
それって、どんな夢だったの?」
逡巡するように望美は口を閉ざし、それから言った。
「近づきたい人がいるんです。
その人のところまで行きたくて、追い掛けるのに、追いつけないんです。
こっちを見て何か言っているんだけど、私には聞こえないの」
「へ〜……それって知ってる人?」
「ううん、その人に近づきたい、って夢の中の私は思っていて、知ってるみたいなんですけど
目が覚めて考えると全然誰かも知らない人で……夢ってそういうことありますよね?」
「ああ、なるほどね〜」
考えるように景時は顎を撫でて頷いた。望美は少し気遣わしげにそんな景時を横目で見上げる。……少しくらいの嘘ならわかるはずもないだろう。
――近づきたくて、その人のところまで行きたくて、追い掛けるのに追いつけない。
――その人は、哀しげな笑顔で望美に向かって何か言っているのに、その言葉が聞こえない。
――それは、今、隣にいる景時その人だった。夢の中で望美は一生懸命景時を追い掛けていた。
――苦しくて苦しくて、胸が痛くて切なくて、哀しくて、彼に近づきたいと一心に追い掛けていた。
目が覚めても、夢の焦燥感は失われずにあって、だから朝から不安が募って溜息ばかりついてでたのだ。
「うん! 大丈夫! 大丈夫だよ、望美ちゃん。
その夢はね、最後には望みは叶うって夢だ」
考えていた景時が、突然、そう声を上げたので望美は驚いて景時を見る。にっこり笑った景時は、立ち止まって望美に向かって講釈を述べるように頷きながら言葉を続けた。
「つまりね、近づきたくて近づけない、追いつけない。
望美ちゃんが目標としているものとかを、夢の中の人は表しているんだよ。
追いつけないのは、焦っている今を表しているんだね。
でも、その人はこっちを向いているんでしょ?
つまり、置いてけぼりじゃなくて、通じ合ってるってことだから。
だから、今は難しいかもしれないけれど、最後には通ずるっていう夢だよ」
「……結局、良い夢なんでしょうか、悪い夢なんでしょうか」
「そりゃ、良い夢だよ! だって、最後にはちゃんと叶うって夢だもの」
自信満々でそう言う景時に、少し疑わしげな視線を送っていた望美だが、なんだか可笑しくなってつい笑ってしまった。景時は、言っていたではないか、占いを求められたら良いことを伝えてあげるのだ、と。
「……景時さんを信じます」
望美はそう言って景時を見つめた。不安な夢も、最後には願いは叶うしるしだと告げた景時の言葉を信じる。それだけの意味ではなくて。時折遠くに感じることのある彼を。時折辛そうな表情をする彼を。一人で何処かへ行ってしまいそうに感じる彼を。信じようと思った。信じて、いつか、願いは叶うと……あなたに近づきたいという願いが叶って2人で紡ぐ未来へこの道は繋がっていると。
「うん、占いは得意なんだから……どーんと任せておいて?」
■□■
望美は大きく伸びをした。冬空は澄んだ空気にどこまでも青く晴れ渡っている。
「おはよ〜、望美ちゃん」
景時が眠そうな顔をして歩いてきた。そして望美の背後からぎゅうっと抱きついてくると、彼女の視線を追って空を見上げる。
「あ〜、今日は良い天気になりそうだね〜」
それから少し気になるように望美に向かって問いかける。
「ねー、望美ちゃん?」
「はい?」
にっこり微笑んだ望美に、しばらくその表情を見つめていた景時は安心したように微笑んだ。
「あ〜……今年の初夢は良い夢だったみたい? 良かった」
その景時の言葉に、望美は少し目を見張って驚き、それから、嬉しげに笑った。
「覚えていたんですか? 去年のこと」
些細な夢の話し。景時に夢解きまがいのことをしてもらった。
「だって、望美ちゃん、本当にふさぎ込んだ顔してたからさ〜
今年も夢見が悪かったって気にしてたらどうしようかなって」
ぽりぽりと照れた顔で頬を掻く景時に、望美は笑いながら言った。
「今年は、絶対良い夢見るってわかってましたから、大丈夫ですよ」
「わかってたの? 夢見る前から? 良い夢見るって?」
わからないというような顔で景時が尋ねてくる。望美は大きく頷いた。
「はい、今年は絶対良い夢見るってわかってました」
だって、今年は景時さんと一緒だったから。枕の下にお守り敷いて眠るよりずっとずっと効果のあること。景時さんと一緒に眠ったら、怖い夢も悪い夢も、もう見ない。
「それで、いい夢だった?」
「ええ! すごく!」
嬉しげにそう言う望美に、景時もつられて笑う。
「そうだ、今年も景時さんに夢占いしてもらおうかなあ。
去年の、とっても良く当たったから」
今苦しくても、辛くても、最後には願いが叶うって、本当だったから。本当にこうやって、穏やかな幸せを手にすることができたから。
「ええ? そう? う〜ん、今度も当たるかなあ。
でも望美ちゃんの見た夢ってどんなか聞きたいかな」
そんな景時の声に、望美は笑って答える。
「じゃあ、教えちゃいますよ……あのね………」
景時さんと一緒だったら幸せな夢しか降ってこないの。
温かい庭で、私と、景時さんと、そして小さな男の子が笑い合っている、そんな夢。
ねえ、景時さん、これってどんな意味かなあ……? ね?