前略、あなたに10の手紙を送ります
■きっと覚えていないかもしれません■
弁慶からの文が届いて、景時はほっと息を吐いた。無事に望美たちは白龍の力でもって元の世界へと帰っていったらしい。酷なことを言っていると思ったけれど、和議を成功させるためには仕方ない。怨霊と荼吉尼天と白龍の神子と。人ならざる力が人の世に介入することは、やはり間違いなのかもしれないと思う。人が始めたことは、人が治めなくてはならない。神に頼ることなく、この世を治めていくのは人の力であるべきだ。
人の世を見守っていた龍神にとっては、今回のことは災難であり、望美にしても巻き込まれただけのことで。人が人智を越えた力を求めることがなければ、ただ人の世の権勢争いというだけで終わったかもしれない。
けれど、そうであれば自分は神子の八葉に選ばれることもなく、望美に出会うこともなかった――そう思うと複雑な気持ちになる。荼吉尼天もおらず、平家が怨霊を使うこともなく、龍神は応龍としてあるべき場所に居て……そうであれば自分は不出来な武士ではあっても、人ならざる力を恐れることのない日々を送ることができただろう。だが、それでも望美に会うことのない人生など、もはや考えられない。結局のところ、矛盾している。人ならざる力を否定しつつも、その実自分は、それらがもたらした出会いを何よりも愛しているのだから。

望美ちゃん、君は覚えていないかもしれないけれど。
オレが鎌倉から暗い思いを抱えて帰ってきたとき。君が一番にオレに気付いてそして満開の笑顔で言ってくれたんだ。
『おかえりなさい』
って、さ。その一瞬だけ、オレに光が差し込んだ。鎌倉からの命令も、仲間を裏切らなくてはならない苦しみもその一瞬だけ全て振り払われてとても幸せな気持ちになった。ずっと、君の元に帰ることができたらどんなに幸せだろう、って思ったよ。当たり前のように、傍らに大切な人がいてくれる暮らしが出来るなら、どんなに良いだろう、って。あの時はもう、オレはいろいろなことを諦めていて……その中には望美ちゃん、君のこともあったんだけれど。

空を見上げて景時は目を細めた。
何かを手に入れるためには、何かを諦めなくてはならなかった。大切な人を自分が守りたいと思ったら、その人の傍にいることを諦めなくてはならなかった。自分には、そうしかできないのだと思っていた。
今度も、望美を本当に安全なところへ、と思ったら元の世界へ戻すことしか考えられなかった。けれど、以前と違うのは、それで諦めるつもりはないということだ。
どんなに願っても、望美と共にある未来など有り得ないと思っていた。だから、何一つとして彼女と約束などしなかった。好きだと精一杯の告白を受け取っても、それに応えることさえできなかった。
けれど、望美が教えてくれたのだ。信じるということ。自分を、そして大切な人を信じるということ。一人では出来ないことも、誰かとなら成し遂げることができるということ。怖れず、自分の弱さを人に晒すこと。ただ、ありのままの自分でも受け入れてくれる人がいるということ。
弁慶の文によれば、望美は随分と景時を心配していたらしい。それはそうだろう、もう長く会っていないし、それに今まで自分は彼女の信用を損ねるようなことばかりしてきたのだから。
『一人で決めて、一人で全部なんとかしようとするから……』
また同じように怒っていたかもしれないな、と思う。まあ、一応今回は相談したつもり……ではあるけれど、ほぼ決定権は望美にはなかったともいえるから、やっぱり怒っていたかもしれない。けれど、前と違うのは、諦めるためではないということ。

必ず、君の元へ帰るよ

その約束は、まだ生きている。どれほど難しくても、絶対にその約束を諦めたりはしない。
大きく深く息を吸い込んで景時は目を閉じた。瞼の裏に、望美の笑顔が浮かぶ。
『おかえりなさい!』
いつかの日の、あの眩しい笑顔。それが再びまた自分に向けられる日が来ることを、景時は確信していた。
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