前略、あなたに10の手紙を送ります
■これで最後の手紙となります■
随分と穏やかな気持ちで景時は文机の前に座り、目の前の白い紙を眺めた。傍らの文箱には、すでに書き終えた何通かの手紙。そのどれもが、きっと、最後の手紙だ。
九郎へ、弁慶へ。戦友だった二人へ。限りない謝罪と感謝と。朔へ、大切なたった一人の妹へ。母を頼むと、そして、幸せであるようにという願いと。母へ、自分にこの命を与えてくれた唯一の人へ。不甲斐ない息子であった反省と親不孝への謝罪と。ああ、いったい自分はどれほど多くの人に助けられ、それでいて何も返すこともできず、多くのものを捨てて行こうとしているのかと。それでも、本当なら自分は今ここに生きている予定ではなかったのだ。守りたいものを守れればそれでよかった。後は自分は死ぬだけだと思っていた。だから今ここに生きている自分の命は、自分のものではなく、こんな自分を求めてくれた一人のひとのものだと思うのだ。
そして景時は自分の心を省みて少し苦笑した。それ以上にきっと、この世界のすべてよりも彼女一人を自分が恋うているというだけのことなのだろう。孤独な戦いの中で、ただ彼女が自分にくれた淡い梅花の香りだけが僅かに自分の心に春のような温もりをくれた。凍えてしまいそうになる心を温めてくれた。挫けそうになる足を前へ進ませてくれた。
そして、今、この世界で書く最後の手紙を彼女へ……望美へ綴ろうと思って筆をとったものの、その先が進まなかったのだった。
あまりにも伝えたいことが多すぎて、何から書けばいいのかと思う。まだたくさんの謝らなくてはならないことがあって。ずっと辛い思いをさせたこと。長く長く待たせてしまったこと。それからもっとたくさんの感謝しなくてはならないことがあって。自分をずっと想っていてくれたこと。信じて待ってくれたこと。もっともっとたくさんの伝えたい想いがあって。どんなことも望美のためなら耐えることができた。その笑顔を守りたかった。自分の何をも惜しくないと想うほどに大切に想っていた。もちろん、今も。どれもこれも伝えたいことばかりで。それを全て書き綴るとすれば、きっとあまりにも時間がかかってしまうだろう。
――望美ちゃん、きっと、もう手紙を書かなくても、君と直接会えるね。伝えたいことが多すぎて、手紙には書ききれないけれど――。
景時は、紙を広げたまま筆をおいた。いつだって上手く自分を表現できたことなどないけれど、今このときこそ望美にどんな風に言葉を綴れば良いのか考えられなくて。
明日には白龍がその力でもって、景時に望美の後を追わせてくれるという。室を出て景時は外を眺めた。黄昏色に染まる空を眺めて、忘れまいとその風景を心に強く描きとめる。明日には捨ててしまう、自分が生まれ育ったこの世界を。それでもなお、悲しみより寂しさより、何かひとつをやりとげた清清しさと、彼女の元へ向かう希望が自分の中に満ちていることに景時は歓びを感じた。
長い夜が終わって希望に満ちた朝が来るように。新しい世界が、望美とともに自分を待っていてくれる。
今度こそ、諦めずに手を伸ばして、差し伸べてくれた彼女の手を取りたい。ああ、そうか、と景時は思ってもう一度文机へと戻った。
この世界で綴る最後の手紙、そして、新しい世界で望美に渡す最初の手紙。
書ききれない思いも言葉も、これからは直接望美に伝えればいい。だから綴る言葉はただ短く。
――これからは、ずっと一緒だよ
そして、ただいま、と笑顔で彼女に会いに行こう。
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