前略、あなたに10の手紙を送ります
■例えばあなたに逢えたなら■
 こちらの世界に戻ってきて、望美は新しい日記帳を買った。今から思えば、向こうの世界に居たときも、日記を付けていれば良かったなあ、と思う。そもそも、紙が貴重品だったし、筆に墨なんて上手く使えなかったから無理だったかもしれないけれど、それでもあの日々のことを、もっと身近に遺しておくためにそうしておけば良かったと思わずにはいられないのだ。つらかったことも、苦しかったこともたくさんあったけれど、楽しかったこともたくさんあった。そんな大切な思い出ひとつひとつを、書き留めておけば良かったと思う。どの一日も大切な限られたその日限りの一日だったのに、と。
 こちらに戻ってからの日常は、穏やかで変わりなく。あんなに長い間過ごしていた戦場のことなどまるで夢かなにかのようだ。譲や将臣が居てくれなかったら、夢だったのかもしれないと諦めてしまいそうになったかもしれない。2人とは、ときどき向こうの話をする。『アイツら元気かな』などと将臣が懐かしそうに言ったり、『そういえば、こんな料理もあったのに、向こうでは作りませんでしたね』なんて譲が残念そうにつぶやいたり。そうやって懐かしく語ることはあっても、2人とも望美に『忘れた方がいい』とはけして言わなかった。そのことにとても感謝している。あれからもう、何ヶ月もすぎるというのに。
 望みの日記帳には毎日、とりとめもないことが書かれている。学校でのこと、行き帰りに見つけたもの。それは全て、『彼』に教えたい、見せたい、話したい、と思ったことばかり。
夜、眠る前、日記帳を開けたときに望美はいつも考えるのだ。
(たとえば、景時さんに会えたなら……)
今日あった、この出来事をおもしろおかしく話したいな。今日見つけたこんなことを教えてあげたい。きっとびっくりするんじゃないかな、楽しんでくれるんじゃないかな、おもしろがってくれるんじゃないかな。日記を直接読ませたいと思っているわけではないけれど。でも、いつか彼がこの地へやってきたときに、伝えたいことはたくさんあるのだ。きっと彼は、望美に寂しい思いをさせたのではないか、待たせてすまなかった、と気にして謝るだろうから。だから、毎日、彼に伝えたいことを探して、いつか一緒にやりたいことを探して、楽しみばかりを数えて、そうして待っていたから平気だったと伝えたい。
もう今は、手紙さえも届けられない時空に隔てられた2人だけれど、でもいつかまた、同じ空の下に立つことができるのだから。
(たとえば、景時さんに会えたなら)
美味しかったケーキ屋さんに一緒に行って、景時さんにも食べてほしい。景時さんの好きな梅の木があるお庭を見つけたから、そこに一緒にお花見に行きたい。景時さんに、自分が生まれた鎌倉の町をたくさん見せて、たくさん好きになって欲しい。2人で一緒に、この世界のこの町で、生きて、暮らして、幸せになりたい。
日記帳は、景時への手紙で、望美の希望で、いつか叶う願いなのだった。
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